中部銀次郎 ゴルフの流儀 – 杉山 通敬 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分


中部銀次郎 ゴルフの流儀中部銀次郎 ゴルフの流儀

・ゴルフは縁起のゲームと心得る
・健全な感覚が健全なショットをさせる
・勝負にはこだわらない。ただ1打にはこだわる
・最悪を覚悟して、最善を尽くす
・基本は一定不変のものではない
・徳は孤ならず、必ず隣あり
・「思い切る」と「力まかせ」はまったく違う
・欲を見切る
・ゴルフは「姿勢」が問われるゲームである
・すべてのショットには一期一会の感性が働く
・ハンディ無しの世界
・中部銀次郎から教わったこと

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書評・レビュー・感想

本書にてはじめて「中部銀次郎」氏を知る。
Wikipediaにて「中部銀次郎」氏を調べると・・・

中部銀次郎(なかべ・ぎんじろう、1942年2月16日 – 2001年12月14日)は日本のアマチュアゴルファー。山口県下関市出身。
大洋漁業(現・マルハ)の副社長を務めた中部利三郎の三男(四人兄弟の末っ子)として生まれる。小学校から兄らと共にゴルフを始め、1958年、山口県立下関西高等学校二年生の時に関西学生選手権に大学生に混じって出場、優勝を果たし一躍その名をとどろかせる。
慶應義塾大学に進学するつもりであったが、ゴルフ環境の悪さ(大学のある都心からゴルフ場が遠い)を理由に一浪。浪人中に世界アマチュア選手権の日本代表の一員に選ばれて渡米した際に見たジャック・ニクラウスのプレーに衝撃を受け、プロを諦めて国内アマチュアのトップとなることを決意したと言われている。後に甲南大学に進み、在学中の1962年・1964年には日本アマチュアゴルフ選手権競技に優勝する。
大学卒業後は、親の務める大洋漁業の関連会社に入社。サラリーマンとしての本業と平行してゴルフを続け、計6回の日本アマ優勝を誇るなど、アマチュアゴルファーの頂点に君臨し続ける。その強さは「プロより強いアマチュア」と称されるほどであり、実際に数々のプロゴルファーとも親交があった。
2001年に食道癌で逝去。享年59。亡くなった時の正式な肩書きは「(株)大洋クラブ(マルハのゴルフ場運営会社、2005年に解散)会長」であった。

ちょっと気になる点がある。

浪人中に世界アマチュア選手権の日本代表の一員に選ばれて渡米した際に見たジャック・ニクラウスのプレーに衝撃を受け、プロを諦めて国内アマチュアのトップとなることを決意したと言われている。

ジャック・ニクラウスのプレーに衝撃を受けたのなら、なぜプロにならないのか?ロジックがわからない。
日本版Wikipediaの質の問題だろうか?
本書の位置づけとして「なぜプロではなく」「アマチュアの人」を選んだのか?の説明がない。
書いている内容は面白いし読んでいて楽しいのだが、だからこそ気になった。
なぜ青木功ではなく、中部銀次郎なのか?が伝わってこなかった。

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