ヘルメットをかぶった君に会いたい

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ヘルメットをかぶった君に会いたいヘルメットをかぶった君に会いたい

第三舞台の鴻上尚史氏の初小説。
テーマは「学生運動」。
鴻上氏は団塊世代から少しずれた「遅れてきた世代」として学生運動を描く。
高校も大学も学生運動がすっかり消え去り、学生運動で疲れ切った学校側の巧妙で陰湿な”管理”だけが残った世代だからこそ猛烈に憧れた学生運動が描く小説だ。
そう1978年に早稲田大学へ入学した著者が書く小説だ。


著者と同じ「遅れてきた世代」は、”政治”より”宗教”に走った人が多かった世代でもある。
本書では、そんな著者が「週刊SPA!」連載で実体験として書いてきた内容が複数含まれており、ドンキホーテシリーズの読者なら懐かしいだろうと思われる。
そしてそんな現実と虚構が混濁したフィクションが本書である。
個人的には「学生運動」などまったく縁がない。
母校が中核派の溜まり場だったらしく、入学式などほんの一部の機会に彼らを目にするほかは、「イラク戦争反対!」と書いた立看の横で何か演説しているのをたまに見るくらいだった。
周りに学生運動に参加している人間など1人としていなかった。(宗教はいたが・・・)
現代における過激派はもう目にすることすらない。
彼らについては、日本赤軍の重信房子が捕まった際に、内田樹先生が以下のようなコメントをしている。

学生たちの政治運動が現実的にほとんど無意味だということが分かっても、「革命」が幻想だということが分かっても、なお党派や組織にしがみついている「きまじめな人たち」がいた。
この人たちはずいぶん酷いこともしていたけれど、その「つけ」もきちんと払っていた。
彼らは約束されかけていた快適な社会的ポジションやプチブル的な快楽を棄てて、誰も感謝せず、誰からも尊敬されない「革命闘争」にその青春を費やし、彼らが求めた理想を何一つ実現できぬままに、何人かは無惨な死を迎え、何人かは白髪の老人となった。

本書の主役はまさにこの人たちである。
彼らについて誰かが語るのを聞くとき、その人は、「ある社会集団の固有の語法」(=エクルチュール)を用いる。そしてその社会集団のメンバーではない私はその排他的でローカルな語法の前に呆然とするだけであった。
著者は、「遅れてきた世代」であるためか、「ある社会集団の固有の語法」を使わない。
だからこそ呆然とせずに読める。
エンターテイメントとして。

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