教育格差絶望社会 – 福地 誠 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 6 分


教育格差絶望社会教育格差絶望社会

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書評・レビュー・感想

近頃のはやりキーワードは「格差」である。
これに疑問がある方は少ないかと思われる。
経済格差学力格差地域格差世代格差情報格差など「格差」がことのほか話題となっているからである。
そのためか「格差」に関連する書籍がたくさん出版されていて、本書もまさにそういった「格差」本の一種である。
この「格差」に関連して「二極化」という言葉も叫ばれて久しい。
なぜ「格差」が出るのか?なぜ二極化しているのか?格差、二極化は何が悪いのか?それはどのようにすれば解決するのか?に興味がありそういった「格差」本を出来る限り読んでいる。だがどの「格差」本を読んでも読後に思うことはそれほど大きく異ならない。それは、「美しい解決法がない。」ということだ。


本書では、教育格差の原因として、親の「熱意」「情報スキル」「経済力」の格差をあげている。つまり教育格差は子どもというより親の問題であるということである。親の役割としてどのような塾を選び、どのような学校を選ぶのか?が子どもの教育に多大なる影響を与えると指摘しており、なぜ子どもではなく、親が塾や学校を選ぶべきなのかを以下のように述べている。

なぜ、塾選びや学校選びがそれほどまでに重要なのか?
それは、どんなに優秀な子どもでも社会的な経験が圧倒的に不足していて、塾や学校を選べないからだ。
子どもは友達の意見を聞くことしか出来ず、自分で得た情報や他人のアドバイスなどから総合的に判断することができない。
これこそ子どもには乗り越えられない壁なのである。

これは、子どもに対する親のマネジメントに関する問題であり、親のマネジメント能力にはもちろんリサーチ力や勉強することに動機付ける力、子どもの適性を把握する力、進捗を管理する力などが含まれている。
職業の拡大再生産について著者の知人の例を以下のようにあげている。

知人であるBさんのお嬢さんが高校に入った。
そこでBさんは、いいバイト先を見つけて、バイトしまくる高校生活を送るようにハッパをかけているという。
Bさんの言い分はこういうものだ。
「あたしも高校のときはバイトばかりで、学校よりもそっちのほうがずっと楽しかったし、学ぶことも多かったのね。それは今になったも大きな財産だと感じている。だから高校時代はいいバイト生活を送って、自分の携帯代や遊ぶお金もそこから出しなさい。そうすればお金の大切さもわかるからって、そういって聞かせている。」
この話を聞いたときには、まさに職業が再生産される瞬間をみたように感じてしまった。

そして、勉強する高校生とバイトする高校生に二極化していると指摘している。これについては身近にも同様な例が複数あったのでそれなりに当たっているとも思うが、ちょっと疑問も持った。高校の進学率が上がり以前は中学卒業後に就職していた人が高校に行くようになったというだけのことではないかとも思うし、そういう部分での考察がもう少し欲しかったが、このようにバイトする高校生の多くは、兄弟姉妹、父母に同様なモデルがあるという遺伝しやすいメカニズムがあることは事実だろうと思う。それは逆に東大生には身近に東大出身者がいる確率が高いことからもわかる。子どもに影響を与えるのはいい意味でも悪い意味でも身近な「ロールモデル」であるということだろう。
個人的には、中学3年の時にある同級生(中学卒業後、大工)から「なんで高校なんか行くん?」と聞かれて衝撃を受けた経験がある。あとから聞くところによると彼の両親はともに中学卒業後、社会に出ていた。その当時の私はクラス全員が高校に行くものと無意識に思っており、行かない人がいるとは少しも考えていなかっただけによりその衝撃性を強めた。
404 Blog Not Found:学校から、実校へ」には、「最高の師匠は、親だ。」ということが無実化したときに、近代がはじまったが、しかし、その「近代」が失われてつつあり、どの親の元に生まれつくかが自分の将来に対して一番決定的な要素に再びなりつつある、それこそが我々の不安の源だ!と指摘している。つまり、逆にいえば、「親が最高の師匠である」というのが現実であるということである。
大学の二極化もはげしい。全入時代がせまり平成17年度は大学の30%、短大の40%が定員割れである。
そうなると以前は専門学校というのは大学にいけない子が行くところだったのが、定員割れしている大学に行くよりは一生ものの資格を求めて専門学校に行く人が増えているらしい。
たしかに私の中学の同級生でも学力的にはどこかの大学には入れるが、大学に行かず、専門学校で理学療法士や作業療法士、柔道整復師の資格を取り、社会へ出ている友人がいる。
本書では面白いことに「大学の三極化」に言及していた。
教育評論家の中井浩一氏へのインタビューによるもので以下のように述べている。

三極というのは、これからも入るのが難しい大学、一定の基準を満たせば入ることができる大学、実質無試験で誰でも入ることができる大学ということです。

そして、試験で学生を選べる立場はMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)までと指摘している。たぶん過渡期の現象としていろいろあるけれどもこのあたりに落ち着くだろうという結論だと思われる。どこに落ち着くかというのはあまり重要ではないけど、全体像として3極化するという指摘はおもしろいと感じた。
教育格差による絶望社会の一端として2006年4月19日に岐阜県中津川市でおきた高1の少年が中2の少女を殺害した事件が取り上げられていた。
高1の少年は中2の時に別の女性との間に子どもが生まれている。
少年は両親と一緒にパチンコ屋に住み込み、少女の母親はすでに離婚して水商売であり、少年のホームページには自己紹介として以下のように書かれていたという。

【性格】えろす 【タバコ】まるめら 【自慢なこと】25秒で女をいかせれる 【好きな飲物】 さけけけ 【好きなスポーツ】 せx・え 【今一番やりたいこと】にゃんにゃん・え

これが絶望社会の始まりなのだろうかと暗い気持ちになる。
経済格差や親の格差が教育格差になり、その教育格差が倫理格差にまでなっている。
著者はあとがきで以下のように述べている。

18歳までは学力がすべてのような気がしたが、大人になってみたら金の方がはるかに重要だった。
しかし、そう思ってしまうのは筆者が今いる季節のせいであり、高齢者と話をしてみると、どうやら健康や人間関係のほうが大切らしい。
どうすれば、幸せになれるのか。
それはよくわからない。
だが、その根本に学力や経済力は関係ないことは感じられる。
子どもの学力が親の経済力によって決まる世の中はおかしいし、変わるべきだと強く思う。けれども、それで個人の幸福や不幸が決まるわけではないのだ。

やっぱり美しい解決法がないのかと思った。
残念ながら。

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