教育格差―親の意識が子供の命運を決める – 和田 秀樹 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 6 分


教育格差―親の意識が子供の命運を決める教育格差―親の意識が子供の命運を決める

序章 知らない間に、教育格差がついている!
第1章 拡大する私立と公立の格差
第2章 地方と都会の格差は親の努力で埋められる
第3章 教育格差は将来の収入格差
第4章 教育は“情報戦”である
終章 子供をゆとり教育の犠牲者にしないために

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書評・レビュー・感想

灘高から東大医学部へ行った精神科医の和田秀樹氏が教育格差について述べたのが本書である。
著者が指摘しているのは以下のことである。
1.公立と私立の差が広がっている
2.中高一貫校は有利である
3.中学受験は基礎学力UPに役立つ
4.教育格差は将来の収入格差
5.親の経済力より親の意識の差
6.教育は情報戦である
極論すれば、目標を大学受験1本にしぼり、子どもを私立の中高一貫校へ中学受験で入学させ、入学後も手綱をゆるめずマネジメントせよ!ということである。
ほとんどの教師は、カリキュラムを教える力はあるが、生徒一人一人をマネジメントする力はない。←ここ重要!
つまり、子どもが自分で自分をマネジメントするか、親が子どもをマネジメントするかのどちらかしかないということである。
マネジメントには、社会経験や情報収集力、洞察力など人としての総合的な能力が必要であり、ごく稀にセルフマネジメントできる子どももいるが例外であるため基本は親のマネジメント力と子どもの学力は相関する。と著者は言う。
しかし、私は、だからといって、「親のマネジメント能力によって子どもの学力が変わる」と言い切っていいのかどうかには疑問がある。なぜなら、「子どもの学力が親のマネジメント能力を映している」のかもしれないからだ。
人間は多くの重要な場合において原因と結果を間違える。←ここもっと重要!
なぜ中高一貫校がいいのか?について著者は、カリキュラムの問題を挙げている。
つまり中学のカリキュラムが少なすぎ高校のカリキュラムが多すぎるということである。
現状は中学:高校は1:5くらいになっているらしい。この問題も中高一貫校なら6年間でならしてしまえば回避できるということである。これも経験のある方ならわかるだろうと思うが、中学と高校では勉強の質が大きく変わる。中学時代に優秀な子どもが進学校で落ちこぼれる例が非常に多いことからもその一端がうかがえる。
私は中高一貫校へ高校から編入した。高校1年時は中学受験組と高校受験組は別クラスで別カリキュラムが組まれ、中学受験組に追いつくための授業内容になり、高校2年から混成クラスになる。中高一貫校ではだいたい5年間(高校2年まで)ですべての課程を終え、残り1年は受験対策とするところがほとんどだろう。私の母校でもそうだった。つまり高校から編入した高校受験組は、そもそも多すぎる高校のカリキュラムをさらに2/3の期間で詰め込まれる。著者が指摘するように中高一貫校のメリットがカリキュラム問題を回避することにあるとすれば、中高一貫校への高校編入組は、メリットどころかデメリットしかない。これは個人的な経験からも当たっていると思う。個人的には、中高一貫校への高校から編入はオススメできない。まさに上記のような理由からである。入るのであれば、中学からである。
そして別の意味でも中学から中高一貫校へ入るメリットがある。
それは公立中学の環境悪化である。
私は公立中学に行っていたため、バラエティにとんだ人と接点をもち、いろいろなタイプの友人ができた点でよかったと思っているが、「より勉学に励むというモチベーションが高めにくい」環境であること間違いない。
本書の中でも「オマエ一人殺したって、俺は罪にならない」と公言してはばからないような極悪少年の話が出てくる(当時、私が通っていた中学にはその種の人間が相当数いたので、彼らは「極悪」とは位置づけられてはいなかった)が、中学時代には校内でナイフを出されてそういわれたこともあるし、暴力行為も日常的に目にした。(その種の人たちに対する接し方を学べたが、そのときは、そんなものは別に学びたくもなかった)
とはいいつつ人間的価値を損なわない「正しい負け方」というのを学ぶきっかけにはなったと思うし、しんどい局面をそれなりに愉快にやり過ごすふるまい方を学んだことでその後の人生へ与えた影響は大きいと思う。しかし、「環境を買う」という意味で中高一貫校へ中学から入るメリットはあると思う。
著者は、「基礎教育こそ、教育の生命線」とし、「小学生時代は遊んでいてもいい」というような考え方をやめて「小学生時代に、一生を決めると思って勉強をさせて、基礎学力をつけさせる」べきだと指摘している。そうすれば、中学、高校時代に真の「ゆとり」が生まれると。
分裂勘違い君劇場 – 3億円あっても楽しくなれない理由は、子供が知っている」の中に以下のような文章がある。

子供の頃、積み木を使って、自分の思うさま構造物を作り、面白い遊び方を仲間に提案し、みんなで盛り上がることの、なんと楽しかったことか。
大人の喜びも、本質的には、これと何ら変わらない。子供が積み木や砂山やトンネルを作るような無邪気さで、気の向くまま、思うさま、縦横無尽に企画を作り、構想をまとめ上げて、あちこちのキーパーソンを説得し、根回しをしまくって組織の意思決定メカニズムを操作し、利害関係を調整し、プロジェクトを推進し、それを世の中で実現していくこと。
それらを、気の合う仲間たちと力を合わせてやる楽しさ。仲間たちと一喜一憂し、喜びと悲しみと怒りと高揚を分かち合うこと。
だから、人生を楽しむのに第一に必要なのは、3億円なんかじゃなく、自分の思いを企画や構想へと練り上げていく力です。人々の気持ちを動かすことの出来る、プレゼン能力です。組織に働きかけ、組織の意思決定メカニズムを操作する、政治力です。自分が思いついた遊びに乗ってくれる、仲間たちです。

上記のような力をつけ、仲間を得るためにどうすればいいのか?
親が子どものためにしてやれることはたくさんありそう。と思うかもしれないが、してやれることはたくさんあっても効果があるものはそんなに多くはないようにも思う。教育パパ、ママには悪いけど。
本書を読んだ個人的な感想としては、「教育格差は親の努力で埋められる」という著者の主張にある一定の真実味はあるとは思うが、著者がいうほどの効果はないと思う。ざっくりとした数値としては著者のいう効果の20%くらいあればいい方だと思う。
現状では、その20%の効果のうちに、「中高一貫校への中学からの進学」というのは入るんだと思う。
先日、監督 小津安二郎 いつもと変わらぬ103回目の夏にて小津安二郎の戦前の傑作「一人息子」を観て来たが、その作品で小津監督は以下のような引用をしている。
人生の悲劇の第一幕は親子になったことにはじまってゐる」。
子は親を選べない。
悲劇が拡大再生産されないことを祈るばかりである。
(やはり、美しい解決方法がない場合、人間は祈るのだろうか?)

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