江戸の非人頭 車善七 – 塩見 鮮一郎 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

徳川幕府の江戸では、人別帳からはずれて路上にたむろする者を、非人に落として、弾左衛門の支配の下、四人の非人頭が管理した。浅草地区の非人頭車善七は、彼らに乞食、紙くず拾い、牢屋人足などをさせた。善七の居住地の謎、浅草溜、非人寄場、弾左衛門との確執、解放令以後の制度の解体と、非人たちの行方を探る。

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書評・レビュー・感想

著者・塩見鮮一郎氏の本で、さまざまな被差別の人達の姿を学んできた。その中心にいたのがエタ頭の浅草弾左衛門であるが、被差別身分は、現代ではエタヒニンと一緒くたにされるが、エタと非人(ヒニン)は異なる。そして当然であるが、エタ頭がいれば、非人頭もいる。
今回の主役は、江戸にいた非人頭・車善七である。
エタ頭の浅草弾左衛門は、「制度」であり、代々「世襲」されたが、非人頭も「制度」であり、代々「世襲」されている。そして、浅草弾左衛門については、初代から最後の13代までどのような人が世襲し、明治に入って弾左衛門制度がなくなった後についてもわかっているが、車善七については、いつはじまり、明治以降どうなったのか不明である。
ただ、最後の車善七は、長谷部善七と名前を変えて、吉原裏から離れたことだけはわかっている。

江戸には、非人頭は、四人いた。江戸時代の後半には、「四家」は、確定している。車善七以外は、その支配の土地の名をアタマにつけて呼んでいる。
 1.車善七
 2.品川松右衛門
 3.深川善三郎
 4.代々木久兵衛
これらのお頭のもと、5、6千人の非人が組織されていた。

非合法に都市へ逃げこんでくる貧民を、「野非人」という。これを排除するのを、「野非人制道」という。人口の自然拡大とその政治的制御、この矛盾をもろに引き受けるのが、非人である。そして、このような軋轢のうちに、あとひとつ、吉原裏に施設が誕生する。かなり時代がたってからであるが、それが、「浅草溜」である。「溜」は、タメと読む。人びとの「溜まり」である。いまでいう、「施設」である。タメは、浅草だけではなく、品川にもあった。また、京都・大坂・長崎にもあった。

江戸へ流入する人口のうちで、浪人と浮浪者にどう対処するか、町奉行は知恵をしぼったのである。そして、路上生活者への対策として、非人制度が徐々に形成されてきた。つまり、人別帳からはずれて路上にたむろしている者を、エタ頭や非人頭につかまえさせた。つかまえて、非人小屋頭に抱えさせた。賤民身分に落として、非人の管理下で、働かせたのである。非人制度は大都市になった江戸には、不可欠のシステムだった。その総元締めが、車善七であった。

本書では、エタ身分とは違う、非人の姿がみえた。明治に入って非人は消えた。その代わりに登場したのが、資本主義社会の負け組とされたルンペンである。
その後、「溜」は、東京養育院へと姿を変える。
知られざる日本の歴史の暗部だった。

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