物語 ドイツの歴史 – 阿部 謹也 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

ヨーロッパ連合が結成され、国境線が事実上の意味を失いつつある現在、その進捗はドイツにどのような変化をもたらすのだろうか。ドイツの誕生から今日にいたる歴史に、「ドイツ的」とは何かを思索する。

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書評・レビュー・感想

ドイツ史のはじまりとして、フランク王国のカール大帝(カール1世)時代から始まっている。フランク王国は、5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国で、最大版図はイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域であった。
当時のフランク王国では、権威としてメロヴィング家>カロリング家となっており、国王となったカロリング家は、自家の権威を高めるために、カトリック(ローマ教皇)の権威を利用する。カトリック(ローマ教皇)側も当時は、東ローマ帝国皇帝との対立を深めていたので、カトリック教会を守る政治的な保護者を必要としており、両者の利害が一致した結果、カロリング家出身のカール大帝(カール1世)は、800年のクリスマスに、ローマ教皇より西ローマ帝国皇帝として戴冠される。
843年に、フランク王国は東・中・西の3王国に分割され、西フランク王国は、フランス王国(987年-1791年)などを経て現在のフランスとなり、東フランク王国は、後の神聖ローマ帝国(962年-1806年)を経てドイツへとなり、中フランク王国は、神聖ローマ帝国を経て、後にイタリアへと集約されていく。
よって本書では、フランク王国の後は、東フランク王国ならびに、神聖ローマ帝国の話へと移っていく。
東フランク王国の国王だったオットー1世が、イタリアの王位継承権を持つアデライーデとの婚姻により、ドイツ王(東フランク王)とイタリア王を名乗り、さらにローマ教皇を助けることによって962年にローマ教皇より、西ローマ帝国皇帝(神聖ローマ帝国皇帝)として戴冠される。ここからが、神聖ローマ帝国のはじまりとされている。
その後は、叙任権闘争、ハプスブルク家とルクセンブルク家の抗争、ルターによる宗教改革、三十年戦争、ナポレオンによる神聖ローマ帝国消滅、ビスマルクによるドイツ帝国(1871年-1918年)、第一次世界大戦、ヒトラーによるナチズム支配、第二次世界大戦、ドイツ東西への分裂、東西ドイツの統合、という流れである。
ドイツにおける帝国は、神聖ローマ帝国(962年-1806年)を「第一帝国」、ドイツ帝国(1871年-1918年)を「第二帝国」と呼び、ヒトラー時代はナチスによる「第三帝国」とも呼ばれている。
ドイツ史を学ぶにはうってつけのガイド本だった。

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