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運命の支配か、宿命への挑戦か―。エリザベス一世と熾烈な闘いを繰りひろげたメアリー・スチュアート。血族結婚くりかえしの果てに生を受けたハプスブルクの王女マルガリータ・テレサ。強烈すぎるロシア皇帝イワン雷帝に嫁いだ七人の王妃たち…。数百年の時を越え、王族の生々しい息遣いがここに甦える。
書評・レビュー・感想
本作品では、以下の5つの章からなっている。
・ メアリー・スチュアート
・ マルガリータ・テレサ
・ イワン雷帝の七人の妃
・ ゾフィア・ドロテア
・ アン・ブーリン
1人1人の人物を深くほりさげているので他の中野京子本を読んだことがある人でも問題なし。どの人物が一番悲惨かと考えたが、イワン雷帝の七人の妃が悲惨な気がする。
あとは4人は後世に名前が残っているという点だけでも十分。マルガリータ・テレサは若くして死んだがある意味幸せだと思うし、アン・ブーリンは処刑されるが時間的にはそれほど苦しまなかったはずである。そう考えると、ゾフィア・ドロテアは長く投獄されていたのでその分悲惨さは増す。
Wikipedia – メアリー・スチュアート
メアリー・ステュアート(Mary Stuart, 1542年12月8日 – 1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日))は、スコットランド女王(メアリー1世、在位:1542年12月14日 – 1567年7月24日)。スコットランド王ジェームズ5世とフランス貴族ギーズ公家出身の王妃メアリー・オブ・ギーズの長女。
マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(西:Margarita Teresa de España, 1651年8月12日、マドリード – 1673年3月12日、ウィーン)は、スペイン王フェリペ4世の娘で、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇后。ドイツ語名はマルガリータ・テレーザ・フォン・シュパーニエン(Margarita Theresa von Spanien)。フランス王ルイ14世妃マリア・テレサは異母姉、スペイン・ハプスブルク朝最後の王カルロス2世は同母弟である。
ゾフィー・ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク(Sophie Dorothea von Braunschweig-Lüneburg, 1666年9月15日 – 1726年11月13日)は、ハノーファー公子ゲオルク・ルートヴィヒ、後のハノーファー選帝侯兼イギリス王ジョージ1世の妻。但し、夫が選帝侯位及び王位を継承する以前に離縁されている。1694年に離婚させられた上にアールデン城に幽閉された。ゾフィー・ドロテアはその後、1726年に死去するまで32年もの間、アールデン城に幽閉され続けた。
アン・ブーリン(英語: Anne Boleyn,1507年頃 – 1536年5月19日)は、イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃(1533年結婚、1536年離婚)、エリザベス1世の生母である。父の代で名字の綴りを Bullen から Boleyn に変更したが、アン自身も Nan Bullen と呼ばれることがあった。
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■「怖い絵展」
東京会場:上野の森美術館
東京都台東区上野公園1-2
■会期:2017年10月7日(土)~12月17日(日)※会期中無休
■開館時間:午前10時~午後5時(※入場は閉館の30分前まで)
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