★★★★☆[映画] ラストエンペラー – The Last Emperor (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 5 分

1950年。5年間にわたるソビエト連邦での抑留を解かれ送還された中国人戦犯の中に、清朝最後の皇帝、ラスト・エンペラ―宣統帝愛新覚羅溥儀がいた。わずか3歳で清朝皇帝の地位につきながらも、近代化の嵐にもまれ、孤独な日々を送らざるを得なかった溥儀。彼が即位してから文化大革命以降に至るまで、文字通り激動の生涯をあますところなく描き出した珠玉の名作!

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。


●舞台は「紫禁城、満州国、収容所」

中国最後皇帝(ラストエンペラー)である愛新覚羅溥儀の生涯を描いた1987年の作品である。溥儀の第二次世界大戦後における囚人としての日々と、幼くして清朝の皇帝に即位してからの成長の日々が交互に描かれる。

愛新覚羅溥儀は、1906年に生まれ、1908年に清朝皇帝として即位するも、1911年に孫文による辛亥革命により廃位される。その後も紫禁城に滞在することは許されるが、1924年にはその紫禁城からも追放される。中国国内が激動化する中、元清朝皇帝としてシンボル的に日本軍に利用される形で1934年に満州国皇帝となるも、1945年、第二次世界大戦における日本敗戦によって満州国が消滅し、ソ連の捕虜となる。1950年、ソ連から帰国するも戦犯として収容所へ入れられ、そこで約10年、人間改造(思想改造)を受ける。1959年に収容所から出され、1967年まで北京で庭師となり、一市民として死去する。

本作品では、歴史に流された「一市民」の男が、「皇帝」であった時代を回想する形で物語は進む。


●舞台は違えども、監禁され、利用され続けた人生

溥儀は、様々に立場や舞台を変えつつも一貫して、監禁され、利用され続ける人生を送る。

紫禁城での皇帝時代も王宮での暮らしを手放したくない先帝の妻や多くの宦官たちに利用され、皇帝とは名ばかりの何一つ自由にならない身であった。紫禁城内では自由に行動できても、外へは出られず、監禁の身でもあった。

紫禁城から追放された後、自分を利用しようとしている日本軍を逆に利用しようと満州国皇帝となるも、やはり皇帝とは名ばかりで、お飾りでしかなかった。ここ満州国でも監禁の身と同じであり、日本軍から利用されるだけの立場にすぎなかった。

そして、ソ連から帰国した後に入れられた収容所では、元皇帝として自分の犯した罪を告白することで共産党に利用されることになる。
紫禁城、満州国、収容所。そのどれもが監禁場所であり、溥儀はそこに囚われた囚人だった。


●時代の流れと立場を示す「乗り物」

溥儀は、幼少時、馬列に先導された「輿」に乗って紫禁城へ行き、少年期には「自転車」で紫禁城内を散策している。しかし当時、紫禁城にいても皇帝ではなく、紫禁城の外では中華民国の大統領が「自動車」に乗っていることを知る。その後、紫禁城を追われる際には、乗り物はなく、自身の足での移動を強いられる。ここには「乗り物」の変化と「立場」の変化がうまくシンクロしている。傀儡ではあるが満州国皇帝となった際の移動手段は、「自動車」であった。しかし日本が無条件降伏した際には「飛行機」で満州から脱出しようとするもソ連兵に阻まれる。そして、ソ連から満州への帰国の際に使用した乗り物は、「汽車」だった。本作品では、溥儀にとって 乗り物というものが、「乗る」ものではなく、「乗せられる」ものであったことを印象的に描いていると感じた。

そして晩年の老溥儀が辿り着いたのが、「乗せられる」乗り物ではなく、自分の意思で「乗る」乗り物となった「自転車」であった。その晩年だけが他人に利用されることがない、自分のための人生となっているが、逆に言えば、晩年の老溥儀には利用する価値がなく、北京では誰も溥儀が元皇帝だとはわからない。そんな溥儀がこれ以上ないほど哀しく、空々しく描かれていた。時代における「乗り物」の変化と、溥儀自身の「立場」のダイナミックな変化がとても上手く描かれているように思う。


●コオロギは何を意味しているのか?

即位式の時に臣下からもらったコオロギとその入れ物は、コオロギが溥儀を、入れ物が監禁場所を象徴している。ラストシーンで、溥儀は、今は観光地となってしまった幼少時代を過ごした紫禁城へ行き、玉座へ座ろうとしたところ、人民帽をかぶった守衛の子供に制止される。溥儀は自分は元皇帝だと告げるがその子は信じず、証拠を求められる。そして溥儀は玉座の後ろに隠していた即位式の時にもらったコオロギが入った入れ物を取り出し、その子へ渡す。不思議そうにその入れ物を眺める子供が振り返った時には溥儀はもういなかった。そしてその子が手に持った入れ物からコオロギが出てくる。

このラストシーンの人民帽をかぶった守衛の子供は、まだ建国間もない中華人民共和国の象徴であり、清朝最後の皇帝であった溥儀がその子に玉座の前で入れ物を手渡わたすことで時代の流れを示し、子供が振り返った時に溥儀がいなくなったことで、溥儀が帰らぬ人となり、天に召されることで、監禁場所からやっと出ることができたことを非常にうまく表現したシーンとなっている。



さすがアカデミー賞9部門受賞作だけある。

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