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内田樹の研究室 : 死をめぐる二つの考察を読んで昨日聞いたラジオのことを思い出した。
昨日、ニッポン放送のゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回にて、パーソナリティの和田アキ子が、自分の弟が昨年亡くなった母親・和田森子の墓参りに行った時のことを語る場面で、弟が、「おかんが、タバコやめや〜って言ってたような気がする」と発言して、笑っていいのかどうか悩んだという話をしていた。
私たちは「自分の欲望」をつねに「死者からのメッセージ」というかたちで読む。
自分の欲望を「私はこんなことをしたいです」とストレートな文型で表白しても、そんなものには何のリアリティもありはしない。
私たち自身の欲望の表明を、私たちは「他者」からの「謎のことば」として聴き出す。
それが「喪の儀礼」の本質構造である。
それは私たちが「自分のことば」をもってしては決して語ることのできない「私の欲望」を言語化する唯一のチャンスなのである。
というように、和田アキ子の弟は、「自分の欲望」を「死者からのメッセージ」というかたちで読んだ。
そして、墓参りという「喪の儀礼」が「自分のことば」をもってしては決して語ることのできない「私の欲望」を言語化することを可能にしたようだ。