★★★★★[映画] ショーシャンクの空に – The Shawshank Redemption (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 10 分

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ショーシャンク刑務所に、若き銀行の副頭取だったアンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)が、妻と間男を殺害した罪で入所してきた。最初は刑務所の「しきたり」にも逆らい孤立していたアンディだったが、刑務所内の古株で“調達係 ”のレッド(モーガン・フリーマン)は彼に他の受刑者達とは違う何かを感じていた。そんなアンディが入所した2年後のある時、アンディは監視役のハドレー刑務主任(クランシー・ブラウン)が抱えていた遺産相続問題を解決する事の報酬として、受刑者仲間たちへのビールを獲得する。この一件を機に、アンディは刑務所職員からも受刑者仲間からも、一目置かれる存在になっていく…。

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。

●舞台は「刑務所」、テーマは「希望」

アンディが冤罪により逮捕され、終身刑の判決を受けて収監されたショーシャンク刑務所から脱獄するまでが主なストーリーである。アンディが収監されたショーシャンク刑務所には多くの終身刑の囚人がいて、その多くが生きる希望をなくしていた。そんな状況のショーシャンク刑務所へ収監されたアンディは少しづつだが、ショーシャンク刑務所に変化をもたらしていく。彼の奇跡によって。


●原作は「刑務所のリタ・ヘイワース」

本作「ショーシャンクの空に」の原作は、1982年に出版されたスティーヴン・キングの中編小説「刑務所のリタ・ヘイワース」である。リタ・ヘイワースは、1940年代にセックス・シンボルとして一世を風靡したアメリカの女優である。豊かな赤毛が彼女のトレードマークだった。
彼女の魅力が最も発揮された作品は1946年の「ギルダ」であり、本作の中でアンディやレッドたちが見ていた映画も「ギルダ」である。


●主人公のアンディ(ティム・ロビンス)

ティム・ロビンス演じる、主人公のアンディ(アンディ・デュフレーン)は、元銀行の副頭取だったが、妻と間男を殺害した罪でショーシャンク刑務所に収監される。「希望」がない囚人が暮らすショーシャンク刑務所で、「希望」を持ち続けるアンディが、さまざまな奇跡を起こす。それがショーシャンク刑務所を少しづつ変えていく。


●調達屋のレッド(モーガン・フリーマン)

モーガン・フリーマン演じる、調達屋のレッド(エリス・ボイド・”レッド”・レディング)は、刑務所内を熟知したベテラン囚人である。しかしベテランであるがゆえに、刑務所での「希望」を恐れ、それを拒否する。そんなレッドもアンディと長年、一緒に過ごすうちに少しづつだが、変化していく。


●感動作か?

本作品は、無冠の名作と呼ばれている。それは、大きな賞といったものは何も取っていないが、映画監督や映画評論家ではない、一般の映画ファンの投票だと上位にくる作品として有名だからである。なぜそのようなことになったのだろうか。



不屈の精神で脱獄に成功し、理不尽な所長や主任に復讐し、刑務所内で知り合った仲間と幸せな生活を取り戻す感動作だからだろうか?たしかに、刑務官の横暴や男色の囚人たちとの戦いに苦しんだアンディがショーシャンク刑務所を抜け出し、所長や主任に悪事のツケを払わせるストーリーは、わかりやすく、胸がすく内容となっている。しかし、それだけでは名作とはならない。



この作品の良さは、「多義性」にあると思う。勧善懲悪やハッピーエンドを求める観客にはそのような内容となり、宗教性や細かな伏線、隠れた背景などを求める観客にはそのような内容となる、複数の解釈を許す解釈の幅が広い作品であることが、この作品を名作にしていると思う。



ただ1つの解釈しか許さない作品は「プロパガンダ」と呼ぶ。プロパガンダの対極にあるのが芸術であるとすれば、本作品は芸術作品の1つだと思う。

●犯罪者への制裁と更生における問題

「ショーシャンクの空に」では、犯罪者への制裁と更生における社会的な問題をいくつか提起している。

 ・刑務官による囚人の虐待(刑務主任ハドレーの横暴さ、理不尽さ)
 ・法の上で成り立つ刑務所の人治のシステム(ノートン所長の独裁と不正)
 ・終身刑というものの意味(犯罪者への制裁と更生、社会的コスト)→仮釈放とレッドの仮釈放評議会の委員に対する「更生の意味」の問いかけ
 ・刑を終えた者の社会復帰の難しさ→40年、50年の服役後に仮出所したレッドやブルックスの孤独の深さ
 ・教育の重要さ→若いトミーに必要だったもの
などである。これらは、罪を犯した者の償いや制裁の中にある社会的な暗黒面をあぶりだしている。一般人は、囚人に対して強い償いや制裁を求めるが、それだけでは社会は良くならない。社会全体としてこの問題に取り組むために何を考えなければならないのか、そんな提言がこの作品にはあると感じた。


●作業をしているみんなにビールを

見逃している人も多いかもしれないが、本作品にはさまざまな宗教的な解釈が散りばめられている。たとえば、刑務所内の屋上塗りの作業員として選ばれた囚人が、アンディ+12名となっており、アンディが刑務主任ハドレーの相続問題解決とのバーターで手に入れたビールを屋上で飲むことができるという刑務所内での奇跡が起こる。この時、アンディはビールを飲まないが、これは、最後の晩餐で自分以外の12名へワインを与えたキリストをモチーフにしたものである。その後、アンディと一緒に屋上塗りの作業をした囚人は、アンディの仲間となっていく。これは12使徒を象徴している。


●レッドのハーモニカは、「自由の象徴」

本作品のテーマとなっているのが「希望」であるが、理不尽な目にあっても、逆境にあっても自分の意志を強く持ち、希望を捨てないそんなアンディの希望の象徴が、ロックハンマーであり、アンディがレッドに贈ったハーモニカもレッドにとっての希望の象徴である。しかし、レッドはそんな「希望」を恐れ、ハーモニカを吹こうとしない。



アンディがショーシャンク刑務所に響き渡らせたモーツァルトの喜劇オペラ「フィガロの結婚」には、人生には、「希望」と同じように「心の豊かさ」、「音楽」が必要だというメッセージが込められていたが、画中画に意味があるように、劇中歌にも意味があると考えれば、「フィガロの結婚」が純愛ドラマの仮面をかぶった不道徳ドタバタコメディであることから、本作品が感動ドラマの仮面をかぶった宗教作品であることを示唆しているのではないかと感じた。

●アンディは本当に冤罪か?

映画の中では、アンディが冤罪により逮捕され、終身刑の判決を受けて収監されたかのように描かれているが、実はアンディが冤罪であることを示す決定的な証拠はない。たしかに真犯人がいるような伝聞情報はあったが、事実かどうかわからないし、妻と間男を殺す場面については最後まで出てこなかった。アンディーは本当に冤罪なのだろうか?本人は酔っていてよく覚えていないと裁判で証言しているが、アンディは、将来、「記憶のない海」に面した街でホテルをすることを「希望」としていることから、何かを忘れたがっていることは確実である。それが、この刑務所の出来事なのか、妻を殺したことなのか。。。どちらに解釈することもできる。これがこの作品の面白さの1つである。

現実の話では、先月末の2014年3月27日に、静岡地裁の再審開始決定を受け、袴田巌死刑囚(78)が仮釈放されたが、釈放までに逮捕から48年という年月が経っており、その間に精神を病むという状況になっている。冤罪かどうかはまだ完全にはわからないが、もし冤罪であったとすれば、取り返しのつかないことをしているのが日本の刑事司法である。これが映画でも小説でもない日本の現実。


●アンディはイエス・キリストの象徴

アンディは、ショーシャンク刑務所から下水管を通って脱獄し、雨の中、天を仰ぐシーンがある。手を横にして天を仰ぎみるアンディは、まさに十字架であり、これは、ゴルゴダの丘で十字架に架けられるイエスを象徴している。また、この雨はイエスの「なしとげました」という最後の言葉に対する神からの応答をモチーフにし、アンディが「なしとげた」ことを暗示しているように感じた。

イエスは自分個人の罪ではない、人間の罪(原罪)を背負いながら、多くの奇跡を起こし、困った人々を救済するが、受難に遭遇し、処刑される。アンディは、このイエス・キリストをキレイに踏襲している。自分の罪ではない冤罪で、投獄されながらも、奇跡を起こし、「希望」という救済を囚人に対して行っていく。マネーロンダリングなどに協力していた所長に裏切られ、自分の冤罪を晴らす手がかりだったトミーが殺され、穴倉と呼ばれる日光が入らない地下の懲罰房に入れられた後に、復帰する様はまさにユダの裏切りによって十字架にかかり、その3日後に復活したイエスを暗示させる。

囚人の救済(囚人=人間、刑務所=人生)というイエスの救済の再現をアンディが行うという宗教的な解釈をすることが可能な内容となっている。また、アンディは、元銀行の副頭取であるが、これもユダヤ人=金貸しという連想から、イエスがユダヤ人であったことをふまえると、やはりアンディはイエスの象徴として本作品で取り扱われていることがわかる。


●ラストシーンの意味とは

ラストシーンは、監督であるフランク・ダラボンには入れる予定がなかったらしい。しかしプロデューサーの意向で入れた結果、評判が良かったためそのまま入れることになったと言われている。このラストシーンについては、入れた方がよいという意見と、入れない方がよいという意見に結構分かれるらしいが、個人的にはあってもよいと思う。

なぜなら、このラストシーンは、観客の見たいラストシーンにそれぞれ解釈可能だからである。一般的な感動作として見る人であれば、刑務所内で知り合った仲間と幸せな生活を取り戻すシーンととらえることもできるし、ポリティカリーコレクトネスの視点で見る人であれば、これはレッドがブルックスと同じように恐怖と孤独から自殺し、その直前に見た夢のシーンであるととらえることができる。また、宗教的な視点で見る人であれば、レッド(使徒、信者、キリスト教徒)が死んだ後にたどり着く楽園(天国)のシーンであると解釈することができる。



この作品の良さである「多義性」がラストシーンでも楽しめる。これが名作になった理由ではないだろうか。ではなぜ、賞が取れなかったのか。この作品は、1994年に公開された作品であり、1995年のアカデミー賞 7部門(作品賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、作曲賞、音響賞)にノミネートされていることから、決して評価されていないわけではない。ただ、作品賞をとった「フォレスト・ガンプ」が良すぎた。運が悪かったとしかいいようがない。だからこそ、無冠の名作になれたとも言える。

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