★★★☆☆[映画] レッド・ドラゴン – Red Dragon (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 7 分

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FBI捜査官ウィル・グレアムは、高名な精神科医ハンニバル・レクターから助言を受けながら、連続殺人事件を追っていた。真犯人を突き止め逮捕にこぎつけたものの、ウィルは生死を彷徨うほどの重傷を負う。数年後、FBIを退職したウィルを元上司ジャック・クロフォードが訪ね、最近起こっている連続一家惨殺事件への捜査協力を依頼する。渋るウィルだったが、期間限定で現場へ復帰。スクープを狙う新聞記者フレディ・ラウンズに苛立ちながらも調査を進めるウィルは、収監されているレクターに再び助言を求めることを決意する。一方、荒れ果てた屋敷に一人住むビデオ加工技師フランシス・ダラハイドは、自身の障害や生い立ちからくるトラウマに悩まされ、自らを脱却し超越することを望んでいた。

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。



本作品「レッド・ドラゴン」で大きな役割をはたす絵画がある。それが、ウィリアム・ブレイク作の「巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女」である。これは、1803~1805年に作成された水彩画で大きさは、43×34センチと思ったより小さい。現在は、ブルックリン美術館に所蔵されている。



この絵と映画「レッド・ドラゴン」の解説は、中野京子著「怖い絵2」が的確に表現しているので引用する。

巨大な多頭のレッド・ドラゴンは悪魔的存在の化身であり、竜と人とが合体した異形の怪物で、今しもコウモリのような不気味な翼を思うさま拡げ、横たわる美女を威嚇している。筋肉隆々たる背、尻、脚はボディビルダー並み、両足を大きく踏ん張るそのポーズは明らかに自分の男性性の誇示であって、その太く逞しい尾は長く伸び、女性の下半身に絡みつく。恐怖に目を見開いた彼女は、長い金髪を太陽のように揺らめかせ、哀れみを乞うように頭上で両手を合わせている。

悪夢のようなこの光景は、「ヨハネ黙示録」の一場面を描いたものだ。曰く―――

日(太陽)をまとう女が、十二の星をちりばめた冠をかぶり、足を月の上へ載せ、子を産む苦痛に泣き叫んでいた。そこへ七つの頭に七つの冠をかぶり、十の角を持つレッド・ドラゴンが現れる。ドラゴンは尾で天の星の三分の一をかき集め、地へ投げ落とす。それから女の前に立ち、子供が生まれたら食おうと、待ちかまえた。

グロテスクなまでに過剰な筋肉を鎧のごとく身につけたこのドラゴンは、「黙示録」中の竜の記述を逸脱し、人間の男の、それも男性優位主義的な力の誇示に走る男のナルシシズムと狂気を露呈している。この絵を見て、単に女の産む子を喰おうとする竜の姿と思う者は誰もいないだろう。強烈な性的エネルギーが横溢しすぎているからだ。

これは、か弱い女性の怯えを楽しむ怪物の姿である。相手の震えを自らのエクスタシーに取り込む異常者の姿である。無力感にうちひしがれた女性を我が身と感じれば、これほど怖い絵はない。しかし怪物にやすやすと我が身を重ねることのできる者にとっては・・・・。

「はじめてその絵を見たとき、彼は度胆を抜かれた。彼の考えをこれほどまでに絵として表したものは見たことがなかったからだ。なんだかブレイクが彼の耳を覗きこんで、真っ赤な竜を見たに違いないという気がした」

トマス・ハリスのサイコサスペンス「レッド・ドラゴン」の一説である。「彼」とは、この小説に登場する連続殺人鬼で、ブレイクの絵に衝撃を受け、背中一面にドラゴンを模したタトゥーを施している。

「彼」は母に捨てられ、精神を病む祖母に虐待を受けながら育った。成人した後は、自分の顔の醜さ、自信のなさ、弱さを補うため、必要以上に肉体を鍛え上げてきたが、内に蠢く衝動の激しさをどう放出すべきか知らず、長く悩んでいた。そこへブレイクのこの絵が目に飛び込んでくる。霊感のように為すべきことを知らされる。「彼」は筋肉をさらにタトゥーで飾りたて、「成るべく存在へと変身する」のだ。

身の毛もよだつ一家惨殺が始まる。「彼」がターゲットにするのは、社会的に成功した夫と美しい妻、そして可愛い子供たちのいる幸せな一家だ。寝込みを襲い、夫と子供たちを刺し殺す。妻には致命傷を与えるがすぐには殺さず、レイプした後にゆっくり絞殺するのだ。その際、死んだ子供たちをベッドの周りに並べ、彼らの目に鏡の破片を嵌め込んで観客に見立て、自分の雄姿をちらちら眺めながら殺人を楽しむ。「彼」はこの瞬間レッド・ドラゴンとなり、「日をまとう女」を彼女の恐怖ごと我が物とする。

「彼」が本来攻撃すべき相手は母であり祖母であり、自分を嘲る人間たちであり、もっと言うならば自分を満足させられない自分自身のはずなのだが、それができずにねじ曲がり、しかも長い抑圧期間を経ていっそう異常な表出の仕方となる。そのくせどれほど狂気の中にあっても自己保存の部分においては正気を保ち、自分より強い者、報復しそうな者に対しては正面攻撃を避け、弱い者、無防備な者へと矛先を向ける。ほしくても得られなかった幸せな家庭という象徴、そこに性的欲望も絡むので、標的は必然的に子持ちの若く美しい女性となる。その女性にたっぷり恐怖を味あわせて興奮することで、自らの弱さと恐怖を克服する。

その興奮は、当然ながら長くは続かない。方向が正しくないのだから、ほんとうの意味での満足は決して得られない。すぐまた同じことを繰り返さなくては、見えざる恐怖に自分が呑み込まれてしまう。こうして「彼」はエンドレスに殺人を続け、「終わりなき夜」(ブレイクの詩句)を重ねるしかない。

非常にすばらしい絵画評、映画評だと思う。



本作品は、ユングの英雄神話と呼ばれる竜退治をモチーフとしたサイコスリラー作品である。思春期には怪物(オニ)や怪獣(竜)などと戦う夢を見ることが多い。この怪物や怪獣は、母性の否定的な一面であるネガティブ・グレートマザーの象徴であるとユングは述べている。ネガティブ・グレートマザーとは、子供を包み込むような母性ではなく、飲み込み、食い殺してしまうような母性である。



普通の子供は、このネガティブ・グレートマザーと心の中で戦い、怪物や怪獣を退治して、精神的な「母殺し」する。しかし、父親不在の家庭やストレスに弱い子供、虐待がある家庭などの場合、そのような精神的な「母殺し」ができずに、現実の母殺しへ至る場合がある。



レッド・ドラゴンに登場する猟奇殺人者フランシス・ダラハイドは、この後者であり、母から捨てられ、祖母から虐待を受け、精神的な「母殺し」を克服できずにいる。そんな時に出会ったのが、「巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女」である。これにより自分の欲望を知り、自分の神性に目覚る。自分の欲望の姿とは、まさに中野京子が述べる「相手の震えを自らのエクスタシーに取り込む異常者の姿」である。



レクター博士を尊敬するのも象徴的な父親としてなのかもしれない。レッド・ドラゴンは、「日をまとう女」を求め、ダラハイドは猟奇殺人を繰り返していくことになる。しかし、盲目の女性リーバがダラハイドの心を異常者から健常者へ揺り戻す。しかし、その後、リーバが自分を裏切ったと勘違いしたダラハイドの心の振子は大きく異常者へと振れていくことになる。



レクター博士の出番が少ないのにはがっかりしたが、レクター博士とグレアムという疑似師弟関係、疑似親子関係がレクター博士とクラリスのそれと重なり合ってレクターシリーズのファンにとっては楽しめたのだろうと思う。

予告編は以下から・・・

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