龍馬を殺したのは誰か – 相川 司 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 8 分

幕末最大のミステリというべき龍馬殺害事件に焦点を絞り、フィクションを排して、土佐藩関係者、京都見廻組、新選組隊士の証言などを徹底検証し、さまざまな角度から事件の真相に迫る歴史推理ドキュメント。

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書評・レビュー・感想

著者は、歴史、ミステリ評論家で、日本推理作家協会会員である。
龍馬史」と、「坂本龍馬を斬った男」を読んで刺激され、購入したのが本書である。
本書によって知ったことは、見廻組のラインが、見廻役─与頭─肝煎─肝煎介─組士(見廻組─見廻組並─見廻組御雇)となっており、見廻役は小大名、旗本大身クラス、与頭は旗本、肝煎以下は御家人となっており、肝煎は助役の意味で十人前後の組士を統括したということである。
そして今井信郎の口書中で述べられた実行犯は、以下のように、与頭一人─肝煎二人─見廻組並四人という構成になっている。
 ・佐々木只三郎 : 与頭(35歳)
 ・今井信郎 : 肝煎(27歳)
 ・渡辺吉太郎 : 肝煎(25歳)
 ・高橋安次郎 : 見廻組並(26歳)
 ・桂隼之助 : 見廻組並(27歳)
 ・土肥忠蔵 : 見廻組並(35歳)
 ・桜井大三郎 : 見廻組並(32歳)
渡辺一郎(篤)の証言によれば、そこで挙げられたのは次の2人となっている。
 ・渡辺一郎(篤) : 肝煎(25歳)
 ・世良敏郎 : 見廻組並(年齢不詳)
この今井信郎証言と渡辺一郎(篤)証言に違いがでているのは、今井信郎は生存している人物に塁が及ばないように、自分以外の実行犯をすべて鳥羽伏見の戦いで死亡した者の名を挙げ、自分ひとりが罪を背負うことで、事件の幕引きをしようとしたためと考えられる。
渡辺一郎(篤)の経歴は、二条城番組与力の出身で、慶応三年二月、見廻組御雇(七人扶持)を命じられ、四月に肝煎並、八月に肝煎(七人扶持+役扶持五人扶持)と昇進し、近江屋事件の直後、加算給として十五人扶持支給の恩賞が与えられている。
この近江屋事件の直後に恩賞があった部分がひとつのキーポイントだと思われる。
なぜなら今井信郎が口書中に実行犯として挙げた自分以外の6人は、近江屋事件の1ヶ月半後の鳥羽伏見の戦いで死去しており、以下のような感じである
 ・佐々木只三郎 : 頭(36歳)
 ・渡辺吉太郎 : 肝煎(26歳)
 ・高橋安次郎 : 伍長[肝煎介](27歳)
 ・桂隼之助 : 肝煎(28歳)
 ・土肥忠蔵 : 見廻組並(36歳)
 ・桜井大三郎 : 見廻組並(33歳)
佐々木只三郎は与頭(頭)であるのでライン上の恩賞はなかった可能性が高いが、それ以外の人物で出世している人物とそうでない人物が明らかに分かれている。以下の2人は1ヶ月半前よりも出世しているが、それ以外の人物は出世していない。
 ・高橋安次郎 : 見廻組並→伍長[肝煎介]
 ・桂隼之助 : 見廻組並→肝煎
これが近江屋事件の実行犯かどうかを分けるポイントではないかと著者は述べている。そして高橋よりも桂の方が厚遇されているのは、高橋が見張班だったのに対して、桂は襲撃班だったためではないかと推測している。
そして襲撃者を確度が高い順に<◎→▲→△→×>とした場合、以下のように予測している。
 ・◎佐々木只三郎 : 与頭(35歳)
 ・◎今井信郎 : 肝煎(27歳)
 ・ 渡辺吉太郎 : 肝煎(25歳) → 渡辺一郎(篤)のダミー
 ・◎渡辺一郎(篤) : 肝煎(25歳)
 ・◎世良敏郎 : 見廻組並(年齢不詳)
 ・△高橋安次郎 : 見廻組並(26歳)
 ・▲桂隼之助 : 見廻組並(27歳)
 ・ 土肥忠蔵 : 見廻組並(35歳) → 世良敏郎のダミー
 ・×桜井大三郎 : 見廻組並(32歳)
桜井大三郎が最後に入っているのは、佐々木只三郎と終始、行動をともにし、紀伊由良で一緒に死亡したことなどから側近であった可能性が高いからという根拠を挙げている。
以前から気になっていたことだが、渡辺一郎(篤)の証言では、以下のように書かれている。

一人、命が助かったのは、十三、四くらいの給仕だろうか。一連の動作に驚き、目の前の机の下に頭を突っ込んで、平伏している。子供なので、そのまま見逃す。

著者は、この子供こそが、間違いなく峰吉(17歳)であり、スムーズに軍鶏が変えたか、もしくは時間がかかりそうだったので、いったん近江屋2階に戻っていたかであろうとしている。その後の峰吉の動きについては本書を読んで頂きたいが、まさにそうであった可能性が高いと思わされる内容だった。
事件の盲点はこの「峰吉」である。
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以下が著者が考える近江屋事件の真相である。

二階の西六畳間で、藤吉または小僧と遊んでいるとき、峰吉は龍馬から「ホタエナ」と叱られる。次いで、襲撃者に斬り立てられ、西八畳間に逃げ込んだ瞬間、彼は「コナクソ」と慎太郎が叫ぶのを聞く。コナクソは、別に伊予に限らず、土佐でも使われる。襲撃者側に「四国人」は誰もいないのだ。
また、今井か、渡辺一郎が、「このクソ」といったのを、峰吉が聞き違えた可能性も多少はあると思う。そして峰吉は、襲撃者が最後に「もうよい」というのまで、耳にする。
襲撃者が去った後、峰吉は屋根に出て、下に逃れる。階下に刺客がまだいるのを、懸念しつつ、裏から表の気配を伺う。すると、そこには土佐藩士・島田庄作が駆けつけていた。彼は刀を抜いている。襲撃者が引きあげると同時に、主人新助が土佐藩邸に注進したからだ。
ここで、咄嗟に峰吉は判断する。少年とはいえ、事件現場から逃げたことがわかれば、処罰されるのではないか。それでなくても恐怖の連続なのに、新たな戦慄が彼を襲う。このままでは、親しい人々から、糾問されてしまう。
峰吉は、嘘で押し通そうと覚悟する。「今、鳥新から帰ってきたところだ」と。現場はパニック状態だから、誰も峰吉を気にはしない。それどころの騒ぎではない。かくして、彼は「見えない男」となっていく。
軍鶏を買いに行く話で、峰吉が龍馬の用を聞いた場所を<近江屋二階→屋外>と変更したのも、「私は事件の埒外」を主張したいがための虚言であろう。架空のアリバイ工作となる。とにかく、疑いを避けたい一心なのだ。
事件発生後、逸早く現場に来たのは、土佐藩上層部の福岡であり、外出中だった谷が到着したころには、慎太郎はもう口が利けない状態。田中らが来たのは、もっと遅い。たぶん慎太郎の死後であろう。
谷は小目付。その職制の意味を、藩邸に出入りする峰吉は良く知っている。そこで峰吉は仄聞した肉声を、密かに谷に告げる。あたかも、慎太郎から直接、聞いたフリをして。殺害現場には、人がひっきりなしにやってくるが、ずっといたのは峰吉ぐらいだから、怪しまれるはずがない。
当初、土佐藩上層部や谷は、襲撃者がどちらを狙ったのか?それすらも、わからない状態だった。しかも、極力、外部犯としたい。それが偽らざる心境であろう。もしも内部犯であれば、土佐藩内の相克はより激しくなり、報復の嵐になりかねない。
上層部から「藩の一大事」と言い含められた谷は、峰吉の話と現場遺留品を手掛かりにしながら、「新撰組実行説」を組み立てる。
その際、谷は情報の出所は伏せ、慎太郎から直接聞いた話とする。まさか小目付が町人の、しかも子供の話で動いた、というわけにはいかない。何よりも現場に駆けつけて、本人の話を聞いたとする「事実」が大切なのだ。
それは、田中が又聞きの内容を、さながら体験談のように語るのと、同質のおのである。一種、見栄が働いたと思っていい。
おそらく主人の新助は、峰吉の在宅を知っていたと思う。現場にいた小僧も、近江屋の奉公人だからだ。しかし、後難を恐れた彼は、生涯、口をつぐむ。なまじっか喋れば、峰吉、小僧、ひいては自分までもが、厳しい尋問に曝される。

非常にリアリティのある現場が浮かび上がってくるようである。
近江屋事件に関する書籍を本書を含めて3冊読んだが、「龍馬史」を読んだ段階では以下のように考えていたが、

坂本龍馬暗殺の実行犯は、佐々木只三郎、今井信郎、渡辺篤、世良俊郎の4人がほぼ確実で、あとの高橋安次郎、桂隼之助、土肥忠蔵、桜井大三郎が可能性があるという感じだろう。

今は、坂本龍馬暗殺の実行犯は、佐々木只三郎、今井信郎、渡辺篤、世良俊郎、高橋安次郎、桂隼之助の6名まではほぼ確実であると思っている。もしかすると6名だけだったかもしれないし、それ以外に人がいたとすれば、土肥忠蔵か桜井大三郎か、両方かという感じではないだろうか。著者は桜井大三郎が佐々木只三郎の側近であることを根拠に現場にいた可能性に言及しているが、近江屋事件後に出世していないことから個人的には、いなかった可能性の方が高いと思っている。一番可能性が高いのは、実行犯が6名のみという説だと思う。これは、渡辺一郎(篤)証言にある「襲撃したのは、佐々木只三郎(唯三郎)の命により、佐々木、渡辺一郎、今井信郎、世良俊郎の他二名の計六名」とも合致する。
後世でより研究が進み、世良俊郎の近江屋事件前後の動きや恩賞の有無などがわかればもっと確実な断定ができるのかもしれない。
幕末のミステリーと言われている近江屋事件であるが、歴史の面白さ、不思議さを感じた内容だった。良書!!

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