★★★☆☆[映画] リトル・チルドレン – Little Children (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 5 分

郊外の住宅街に住む主婦のサラは、近所の公園で司法試験の合格を目指す子連れの主夫ブラッドと出会った。いつしかお互いに惹かれあい、気持ちを抑えきれず強く求め合うふたり。そんな中、街では元性犯罪受刑者のロ二ーが釈放され問題となっていた。ブラッドの友人で元警官のラリーは、子供たちを守るためにロ二ーを糾弾するビラを街中に貼りまわる。それぞれが日常から少しずつはみ出した行動をとりはじめる街の人々。それはまさに攑lになりきれない大人たち=リトル・チルドレン䲂s動。やがて街は大きな事件に巻き込まれていく・・・。

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。

リトル・チルドレンは、大人になりきれない大人の話である。ここでは、ココロの中に小さな子供を抱えた4人の男女が登場する。
メインストーリーは、英文学博士になれずに専業主婦をしているが、郊外の典型的主婦集団になじめずにいる「サラ」と、子守をしながら司法試験の勉強しているが妻に養ってもらう状況にコンプレックスを持っている「ブラッド」を描くもの。サブストーリーが、元性犯罪者で出所後に街に戻ってきた自分を自制することができない「ロニー」と、ロニーを中傷することによって自分が犯してしまった罪を忘れたい元警官の「ラリー」を描くものとなっている。

彼ら4人はそれぞれ「今と違った人生への渇望」を持っている。サラは、平凡な日常に飽き飽きし、もともとそれほど好きではなかった夫の変態行為を目撃した後は今とは違う人生を夢想する。そんな時に出会ったのが、主夫をしながら司法試験の勉強をしているが実際は諦めており、スケートボーダーを見て、ありえなかった過去を夢想しているブラッドである。お互いの子供を触媒として近づく2人。平凡な日常とは違ったドキドキを求めていたサラと妻とのセックスレスで欲求不満だったブラッドが情事を持つことは当然の流れであった。

サラが近所の人に誘われて参加した読書会では、フローベールの名作「ボヴァリー夫人」について議論となる。ここでサラは自分自身とボヴァリー夫人を重ね合わせ、「今と違った人生への渇望を描いているのよ」と答える。この回答に否定的な若い主婦と肯定的な高齢の主婦の対比が印象的であった。人生を積み重ねないとわからないものがあるのかもしれない。

Wikipedia – ボヴァリー夫人

『ボヴァリー夫人』(ボヴァリーふじん、仏:Madame Bovary)は、ギュスターヴ・フローベールの小説。田舎の平凡な結婚生活に倦んだ若い女主人公エマ・ボヴァリーが、不倫と借金の末に追い詰められ自殺するまでを描いた作品で、作者の代表作である。

不倫によって現実の穴埋めをしていたサラとブラッドがさらに盛り上がるスパイスがここで投入される。それが、ブラッドの不貞を疑った妻キャシーによるブラッドの監視である。キャシーは自分の母親を監視役として送り込む。これによって、たんなる身体だけの関係だったものが、会うことができないという制限によって駆け落ちへと昇華する。

しかし、その駆け落ち寸前で2人は共に元の生活を取り戻す。

それは、サラとブラッドが求めたものが「情事」や「恋愛」ではなかったことを表しているのだろうと思う。失われた青春を追い求め、今と違った人生を渇望しても、今、手の中にある「幸せ」の方が大切であることをわかったのだろう。

ブラッドは、サラとの駆け落ち場所へと行く途中に、いままで無視されていたスケートボーダーたちから声をかけられる。本当に彼が「情事」や「恋愛」を求めていたのならここでスケートボーダーたちを無視するだろう。しかし彼はそうしなかった。それは彼が求めていたものは特定の情事や恋愛ではなく、ありえなかった過去、ありえなかった青春だったからだろう。彼にとっては今の自分の現実を穴埋めし、傷を癒してくれるなら相手はサラでなくてもよかったのだ。だからこそ、駆け落ちを決意しながらも、妻への別れの手紙を出せずに持ったままだったのだろう。覚悟ができていなかったのだ。

サラも駆け落ち場所から目を離した隙に娘がいなくなった衝撃から母としての感情を取り戻す。娘を抱きしめて泣くシーンでは、サラが子供を抱きしめているのではなく、子供に抱きしめられているように見えたのが印象的だった。

元性犯罪者のロニーは、ロリコンであるが、これは母親に溺愛されていたことによって精神的に去勢されたことが原因であるように感じた。このロニーの母親は、自分の子供が犯罪者であろうと、無条件に信じ、愛してくれる存在である。この母親の死によってロニーは精神的に解放され、最後のような行為につながったのではないかと思った。「子供を守る会」の主催者であるラリーも警察官であった過去に縛られ、未来を見失っていた。しかしロニーの決意、覚悟を見た後、彼の未来が変わっていくかもしれないそんな予感を感じてエンドロールを迎えた。

非常にナレーションが多い作品だった。

人は、過去は変えられない。だが、未来は変えられる。

そう本作品では述べられている。それは、映画を観ている我々から見れば、サラやブラッドのおかしな点や改善点がよく見えるし、笑ってもいられる。しかし、人は人生において常に当事者である。映画のように傍観はできない。だれもが部分的にサラやブレッドのような大人になりきれない大人を自分自身に内包している。それぞれの人生の中で「今と違った人生への渇望」が首をもたげてきた時にこの「リトル・チルドレン」を思い返してみてもいいのかもしれない。

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