龍馬史 – 磯田 道史 (書評・レビュー・感想)

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龍馬史 (文春文庫)
龍馬史

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磯田 道史
文藝春秋

明るくて合理的、自由で行動的。貿易を行い、戦争もする「海軍」として、亀山社中を創設し、薩長同盟を実現させた坂本龍馬は土佐藩で、どのように育まれたのか?どんな世界を見ていたのか?誰に暗殺されたのか?龍馬をめぐる数々の謎に歴史家の磯田道史が挑んだ。龍馬を知れば、幕末が見えてくる。

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書評・レビュー・感想

著者の磯田道史さんといえば、映画化もされた「武士の家計簿」で有名であるが、人気、実力ともすばらしい歴史学者である。過去にはたしか4冊、同氏の本を読んだことがある。
 ・武士の家計簿
 ・殿様の通信簿
 ・日本人の叡智
 ・江戸の備忘録
そんな磯田道史さんが、龍馬が残した手紙や幕末の歴史的な状況などを踏まえて、坂本龍馬に迫っていくのが本書である。
歴史の中でもトップランクに人気が高い坂本龍馬であるが、近江屋にて誰に暗殺されたのか?がよく話題になる。ここにはいくつかの説があるが、著者は手紙や当時の状況を考えると結論は見えると言う。
著者が否定するのは、新撰組黒幕説、紀州藩黒幕説、土佐藩黒幕説、薩摩藩黒幕説である。それぞれどのように否定しているのかは本書を読んでいただくとして、結論としては、会津藩の松平容保の命令によって、見廻組が実行したとしている。立案したのは、会津藩の公用人である手代木勝任で、実行役は手代木勝任の実弟である見廻組頭取・佐々木只三郎ら。
実際に龍馬を刺したのは、佐々木只三郎、桂隼之助、渡辺篤、今井信郎の4名+αの中の誰かもしくはこの中から複数人だろうとしている。このうち、渡辺篤と今井信郎は自分たちがやったと証言している。龍馬には34か所の傷があったと言われており、滅多切り、滅多刺し状態であったとのこと。
当初は、渡辺篤と今井信郎の証言で食い違いがあり、龍馬暗殺約40年後の臨終間際での渡辺篤の証言は売名行為と言われていたが、渡辺篤の証言にしか登場しない世良敏郎という人物がその後実在の人物であることが分かり、さらに現場に置き忘れたとされた刀の鞘が、当時、新撰組の原田左之助の物とされていたが、世良敏郎の物であることがわかり、証言に真実味が帯びたと言われている。この世良敏郎が現場にいたことは間違いなさそうである。
渡辺篤の証言では、実行犯は6名である。
渡辺篤本人、佐々木只三郎、今井信郎、世良俊郎の他2名としている。
今井信郎の証言では、実行犯は7名である。
今井信郎本人、佐々木只三郎、土肥忠蔵、桜井大三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助。
著者が今井の証言は今井自身については本当だが、ほかの人物については全員が戊辰戦争で戦死しているため、実際はその後生き残った誰かをかばうために一部が偽証言である可能性が高いとしている。実際、今井は、「実行犯のうちの1人はまだ生きているが、名前を言わないでくれと頼まれたか話せない」とも証言しており、その人物が渡辺篤もしくは、世良俊郎ではないだろうか。たぶん世良俊郎の可能性が高いと思う。渡辺篤については、同名の渡辺吉太郎を代わりに証言しているので。
Wikipedia – 渡辺篤

晩年、近江屋事件の様子を弟の渡辺安平や弟子の飯田常之助などに語り、父から贈られた刀「出羽大掾藤原国路」で龍馬を斬ったと述べている。

Wikipedia – 今井信郎

戊辰戦争においては最後の箱館戦争まで戦い抜いた。明治3年(1870年)、箱館で降伏。囚われの身となっていた際に近江屋事件の糾問を受け、坂本龍馬暗殺に関わったと自供し、裁判により禁固刑となったが、明治5年(1872年)に特赦により釈放された。

今井信郎については、今井家に口伝が残っており、孫の今井幸彦がそれをまとめている。それが、「坂本龍馬を斬った男」である。

坂本龍馬を斬った男 (新人物文庫 い 3-1)
今井 幸彦
新人物往来社

坂本龍馬暗殺の実行犯は、
佐々木只三郎、今井信郎、渡辺篤、世良俊郎の4人がほぼ確実で、あとの高橋安次郎、桂隼之助、土肥忠蔵、桜井大三郎が可能性があるという感じだろう。
他の黒幕説の方がたしかに歴史的には面白いのだが、現実はコレなんだろうと思う。実際、立案者である手代木勝任と実行者である今井信郎、渡辺篤の3名が証言している点も大きい。
このあたりをもう少し楽しみたい方は、「龍馬を殺したのは誰か」などがいいかもしれない!

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