★★★★☆[映画] ハンニバル – Hannibal (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 6 分

アンソニー・ホプキンスが再び演じるハンニバル・カニバル(人食い)・レクター博士は、イタリアで芸術を学び、エスプレッソをすすりながら、優雅に暮らしていた。一方、ジョディ・フォスターに代わってジュリアン・ムーアが演じるFBI捜査官クラリス・スターリングは、あまり恵まれた境遇にない。当初からアウトサイダーのクラリスは、お役所的なゲームに身を置くことのできないむっつりした一匹狼となっていて、そのために苦しい立場にいる。さらに、麻薬取引の手入れの失敗で左遷の憂き目にあい、そこへレクター博士の犠牲者唯一の生き残り、メイスン・ヴァージャー(ゲイリー・オールドマン)に呼ばれてちょっとした質問を受けることになった。レクター博士にそそのかされて自らの顔の皮をはいだヴァージャーの顔面は、恐ろしく変形している。クラリスは、彼がレクター博士をおびきだすためのエサとして自分を使おうとしていることなど、露知らなかった。

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。

ベテランとなったFBI捜査官のクラリス(ジュリアン・ムーア)が、麻薬組織への捜査に失敗し左遷される。それを知ったレクター博士(アンソニー・ホプキンス)による前作「羊たちの沈黙」時における興味深い患者への治療からエスカレートした心理的な結びつきを通じた恋愛ストーリー(失恋物語)となっている。

個人的に好きなブレードランナーと同じ、リドリー・スコット監督作品である。



大富豪メイスン・バージャーによるレクター博士への復讐というメインストーリーの裏で、カネに目が眩んだパッツィ刑事、強欲な司法省のクレンドラーとのサブストーリーが展開していく。イタリア・フィレンツェにてフェル博士と名乗り、司書になろうとしていたレクター博士は、彼の前任者が行方不明となっている事件の担当であるパッツィ刑事に、逃亡犯であることを知られる。パッツィ刑事は、懸賞金目当てにその情報をFBIへ売るが、それを知ったレクター博士にパッツィの先祖の例に倣い、腹を割かれて内臓を出した状態で首を吊られて殺害される。



このフィレンツェ編では、オリジナルオペラが演じられる。この曲が有名な「Vide Cor Meum」(ヴィードゥ・コル・メウム)である。この曲は、若き日のダンテが初恋の人ベアトリーチェへの想いをつづった詩からとられたとされており、「私の心を見て」という愛の告白である。映画の中で演じられる劇中オペラは、映画のテーマを浮き彫りにする効果があるが、本作品がレクター博士からクラリスへの愛の告白であることを意味していると思われる。



レクター博士からの手紙を受け取ったクラリスは、その手紙を分析し、特別な香水に行き当たる。そして、そうした特別な香水が売られている少数の店舗の防犯ビデオを取り寄せ、レクター博士を見つける。これがフィレンツェで800年の歴史を誇る世界最古の薬局である「サンタ・マリア・ノヴェッラ」である。



その後、フィレンツェからアメリカへと舞台は移る。レクター博士への復讐に燃える大富豪メイスン・バージャーが思いついた復讐は、大量の食人豚にレクター博士を生きたまま食べさせ、苦しんで死んでいく様をゆっくりと見るというものであるが、前作「羊たちの沈黙」に出ていた連続殺人鬼・バッファロービルような恐怖は感じなかった。パッツィ刑事に見つかることも、クラリスへ送った手紙から場所を把握されることも事前にわかった上でやっている台詞があることからこれらも事前にレクター博士によって計算されていた可能性が十分ある。そう考えると、レクター博士は、メイスン・バージャーに捕まることもわかった上だったということも考えられる。そして、クラリスがそれを見て、助けにくることも。。。



10年前に逃亡したレクター博士についてクラリスは思い出さない日はないと語る。そのような想いが募っていることをわかった上で、メイスン・バージャーの策にわざとのっかり、このようなイベントを作り出したのではないだろうか。それが愛を深めるチャンスだと考えて。そうではないと、あの場面でもしクラリスが来なければ、レクター博士は豚に喰われて終わり??になってしまう。計算高いレクター博士らしくない。



司法省のクレンドラーへの復讐では、「前部前頭葉は礼節や礼儀を司る部分だが、切り取っても痛みを感じる事はない」ことを映像で観ることができる。この場面は、レクター博士のクラリスへの愛の告白ではないかと思う。そして、2人で一緒にクレンドラーの脳を食していれば、その告白は成功したことになるのだが、実際は失敗に終わる。ここでは冷蔵庫に押し付けたクラリスにレクター博士がキスをするシーンがあるが、前作のレクター博士の指が鉄格子越しにほんの少しだけクラリスの指をなぞるシーンに比べると色気がまったくなかったように思う。



クラリスにキスをした瞬間、レクター博士は、手錠をはめられる。警察がやってくる時間がせまっているため、鍵を渡さないと手首を切断するぞとクラリスを脅すも、それを拒否するクラリス。レクター博士がとった行動は、「自分の手首(腕)を切断する」ことだった。腕を切り落とすということの意味は、もちろん「手を切る」=「他者との関係を絶つ」ことである。これは、愛の告白に失敗したレクター博士がクラリスとの関係を断つことを意味しているのだと思う。



クラリスが前作のジョディ・フォスターからジュリアン・ムーアに変わっているが、どちらも魅力的だったと思う。ただ、総合的には前作の方が映画的愉悦が多く含まれていたように感じた。子弟愛、親子愛的な意味合いが強かった前作から、対等な愛をクラリスに求めたレクター博士の失恋。そんな映画だったと思う。

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