★★★★☆[映画] カストラート – Farinelli (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 6 分

カストラート
キングレコード

18世紀ヨーロッパ、珠玉のボーイソプラノを保つために<去勢>された男たちがいた――“カストラート”。
その音域は3オクターヴ半にも及び、女性歌手でも出すのが難しい高音のパートですら楽々発声できたという。カストラートはまた、独特の去勢法のため性生活には何一つ不自由なかったばかりか妊娠の心配もないとあって宮廷女性の愛玩物にもなっていたという。そのカストラートの歴史上最高峰がファリネッリ。彼の名はヨーロッパ中に轟き、あらゆる女性の寵愛を欲しいままにしていた。彼の影の半生を通じて“男でも女でもない人間”の悲劇と崇高さをドラマティックにスキャンダラスに、彼を取り巻く陰謀、政略、裏切り、苦しみを、史実を基に描く。

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。



神の声と引き換えに去勢された弟カルロ(ファリネッリ)と野望のために弟を去勢した兄リカルドの兄弟の物語である。

1人の女性を2人で分け合うほどの兄弟仲は、「弟が興奮させ、兄が種をまく」という形であり、それはカルロが女性に一人では対応できずに兄へ依存している様子を伺うことができる。



音楽に対して才能はあるが情熱がない弟と情熱はあるが才能がない兄は、互いの足りないものを補うようにして一心同体として生きようとする。しかし、その双子のような兄弟の間に亀裂を入れたのもまた「音楽」であった。

人とは自分に足りないモノ、欠けたモノを欲望する。カルロは、カストラートとして「唯一の神、ファリネッリも唯ひとり!」とまで言われるほど、音楽界で成功するが、結婚して自分の子供を持つという普通の人々の生活、幸せを手にすることができずに苦悩する。

Wikipedia – カストラート

カストラート(伊: castrato)は、近代以前のヨーロッパに普及した去勢された男性歌手。男性を去勢することにより男性ホルモンの分泌を抑制し、男性の第二次性徴期に顕著な声帯の成長を人為的に妨げ、変声期(いわゆる「声変わり」)をなくし、ボーイ・ソプラノ時の声質や音域をできうる限り持続させようとしたもの。一方で成長ホルモンは分泌されるため、身長や胸郭は通常どおり成長し、胸郭をはじめとする骨格や肺活量の成長などは成人男性とほとんど変わらず、声のトーンや歌声の持続力は未成年や女性歌手では再現できないといわれる。 彼らの声は甘く、野性的でそれでいてとても官能的だったと言われる。

カストラートは、去勢をして睾丸を除去しているため精子がなく、子を作ることができない。また当時、カトリック教会はカストラートの結婚に否定的であった。



リカルドは、弟の才能を利用し、自分の野望のために弟を去勢した事実を偽り続けるが、男性ホルモンが不足しているために情緒不安定になり、体調を崩しやすい弟のために献身的に尽くすことで穴埋めしようと必死になり、弟のためのオペラ「オルフェオ」を書き上げようと努力する。

しかし、去勢の本当の事実と歌手としての欲望によって2人は引き裂かれることになる。



生きることに苦悩したカルロは、スペイン王フェリペ5世の王室歌手として国王のためだけにしか唄わないことを選ぶことで心の安寧を求めたのかもしれない。

その後、苦悩しながらも二人の絆である「オルフェオ」を書き上げたリカルドは、カルロにもう一度一緒に公演しようと持ちかけるが、カルロにはその気はなかった。カルロは兄が自分にしたことを許すことができなかったのだろう。

それを理解したリカルドは、弟に種を残し、去っていく。

カストラートになるためには、男性ホルモンであるテストステロンの分泌を抑えるために、睾丸の中の精管を切り、睾丸を抜く処置をするらしく、麻酔として阿片を飲ませ、生殖器を柔らかくするためミルク風呂に入れるとのこと。リカルドが白濁した液体の中に朦朧としたカルロを入れるシーンはそれを表したものと考えられる。



イタリアの画家であるジャコポ・アミゴーニによる「ファリネッリと友人たち」という作品があるが、これを見るとファリネッリは、エラの張った男っぽい顔をしており、本作品でカルロ(ファリネッリ)を演じたステファノ・ディオニジのような細面ではないようである。

Wikipedia – ファリネッリ


ファリネッリ(Farinelli, 本名:カルロ・ブロスキ(Carlo Broschi), 1705年1月24日 – 1782年9月16日)は、イタリアのカストラート歌手である。最も有名なカストラート歌手であり、その音域は3オクターブ半あったといわれている。1994年には彼の生涯を描いた映画『カストラート』が制作された。

ポルポラに学び、1720年にナポリでデビューする。今日のイタリア全土およびウィーンで活躍、1734年から37年にかけては、反ヘンデル派に招かれてイギリスに渡っていた師ポルポラの要請により、ロンドンで活動する。その美声と発声技術は驚愕の的であり、女性はしばしば失神したという記録がヨーロッパ各地に残る。

1737年にマドリードに招かれ、フェリペ5世の求めに応じて王室歌手としてそこから20年超にわたり留まる。フェリペ5世は彼の好む僅か4曲のみを毎晩ファリネッリに王の寝室で歌わせ、その代償として年額5万フランを与えたという。同王の没後、フェルナンド6世の治下では、ファリネッリは台本作家メタスタージオや多くのイタリア人歌手をマドリッドに呼び寄せ、同地でのイタリア・オペラ隆盛のきっかけになった。

1759年にイタリア半島に戻りボローニャに隠棲、同地で没。スペイン王室からの莫大な年金を受けての裕福な晩年だったという。

現在は存在しないカストラートの存在と彼らがヨーロッパの宮廷やオペラ座などでどのように公演していたのかなどヨーロッパの歴史に興味がある人におススメ!

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