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恋愛映画にちっとも興味が無い人のためのホラーより怖くてコメディより笑えてミステリーより謎でAVよりエロくてアクションより勇気が出る恋愛映画地獄めぐり。
書評・レビュー・感想
町山智浩氏によるおススメ恋愛映画特集である。
「チェイシング・エイミー」 - オクテのオタク男はサセ子の過去を許せるか?
「アニー・ホール」 – ウディ・アレンは自分を愛しすぎて愛を失った
「エターナルサンシャイン」 – 忘却装置で辛い恋を忘れたら幸福か?
「日の名残り」 – 愛を隠して世界を救いそこなった執事
「アルフィー」 – 女たらしは愛を知らない点で童貞と同じである
「ことの終わり」 – 恋するグレアム・グリーンは神をも畏れぬ
「めまい」 – ヒッチコックはなぜ金髪美女を殺すのか?
「パッション・ダモーレ」 – 愛は本当に美醜を超えるか?
「ジェラシー」 – 嫉妬は恋から生まれ、愛を殺す
「隣の女」 – トリュフォーも恋愛のアマチュアだった
「リトル・チルドレン」 – 不倫とは過ぎ去る青春にしがみつくことである
「ラストタンゴ・イン・パリ」 – セックスとは二人以外の世界を忘れることである
「愛のコリーダ」 – 完璧な恋人は、NOと言わない男である
「ラスト、コーション」 – 愛は勝ってはいけない諜報戦である
「幸福」 – 幸福とは現実から目をそらし続けることである
「赤い影」 – 最大のホラーは男と女の間にある
「アイズ ワイド シャット」 – キューブリック最期の言葉はFUCKである
「ブルーバレンタイン」 – 結婚は愛のゴールでなく始まりである
「逢びき」 – 恋におちるのはいつも不意打ちである
「道」 – フェリーニのジュリエッタ三部作は夫婦漫才である
「アウェイ・フロム・ハー」 – 認知症の妻に捧げる不実な夫の自己犠牲
「永遠の愛に生きて」 – 苦痛のない愛はないが愛のない人生は無である
著者は序文にて恋愛映画の効用について以下にように述べている。
初めての恋愛は、免許もなしで自動車に乗って公道に出たような感じだった。もちろん恋愛に免許なんてないし、試験場もないのだが。人は何かを学ぶために練習する。失敗して学んでいく。しかし、人生そのものは何度も「練習」することはできない。それぞれが「本番」だから。人を愛することだってそうだ。何しろ相手がいることだし。実際、大部分の人にとって、本当に深い恋愛経験は人生に二、三回だろう。たしかに何十もの恋愛経験を重ねる人もいるが、その場合、その人の人生も、相手の人生も傷つけずにはいない。そもそも、恋愛において、そんなに数をこなすのは何も学んでいない証拠だ。トルストイもこう言っている。
「多くの女性を愛した人間よりも、たった一人の女性だけを愛した人間のほうが、はるかに深く女性というものを知っている」
恋愛経験はなるべく少ない方がいい。でも、練習できないなんて厳しすぎる?だから人は小説を読み、映画を観る。予行演習として。
恋愛映画というのは、監督の恋愛観の表明のようなものなので、監督にとっては自分のすべてを観客に晒しているような気分になるらしい。たしかに多くの恋愛映画に出てくる男性はダメ男であり、痛い奴である。そしてそれは部分的には映画を観ている観客と同じである。
だからこそ、観客は自分の一部がさらされているような気分となり恋愛映画を観ると少しはにかんだような恥ずかしい気分になるのだと思う。
恋愛映画をたくさん観たからといって恋愛が上手になるわけではないと思うが、人間というものを少しは深く知ることができるのかもしれない。
本書を読んで、「リトル・チルドレン」「ラストタンゴ・イン・パリ」「ラスト、コーション」の3作品を見て観たくなった。