マンガで学ぶオペラ – 蝶々夫人

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Wikipedia – 蝶々夫人

『蝶々夫人』(ちょうちょうふじん、Madama Butterfly, マダマ・バタフライ)とは、プッチーニによって作曲された2幕もののオペラである。いわゆるプッチーニの「ご当地三部作(あとの2作は「西部の娘」、「トゥーランドット」)」の最初の作品である。長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描く。物語は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアの弁護士ジョン・ルーサー・ロングが1898年にアメリカのセンチュリー・マガジン1月号に発表した短編小説(Madame Butterfly)」を原作にアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコが制作した戯曲を歌劇台本化したものである。1904年2月17日、ミラノのスカラ座で初演されたそれは大失敗だったが、同年5月28日ブレシアで上演された改訂版の成功以来、標準的なレパートリー作品となっている。

オペラ「蝶々夫人」は、舞台が日本の長崎であるため日本人にとっては非常になじみ深い作品である。ただその分、細かな描写が欧米人から見た日本であるため、少し頓珍漢な部分もある。長崎に来たアメリカ海軍士官ピンカートンが現地妻として日本人の少女と結婚することになる。その少女が蝶々さん(蝶々夫人)である。結婚して3年後にピンカートンは任務が終わり、アメリカへ帰ることになる。蝶々さんは戻ってくるという約束をずっと待ち続けるが、その間にピンカートンはアメリカでアメリカ人女性を正妻としており、長崎に訪れたピンカートンの妻ケイトと蝶々さんは対面する。蝶々さんは、ケイトから提案された子供を渡せば、その子をピンカートンの子として養育するという話を子供の将来を考えて受け入れるが、父の遺品の刀で自刃し、異変を聞きつけたピンカートンが戻ってくるが、とき既に遅く、蝶々さんは息絶えるというのがあらすじである。
植民地主義時代の偏見や人種差別だという意見もあるが、当時、日本において外国人の妾となった女性を洋妾といい、高級将校の現地妻となった人がたくさんいたが、そのほとんどが生活のためであり、蝶々夫人のように恋愛関係にあったものはあまりなかったと言われている。そのため、洋妾が夫に裏切られて自殺をしたという記録は残っておらず、蝶々夫人は架空の物語とするのが一般的である。
以下は、蝶々夫人の有名なアリア「ある晴れた日に」であるが、これは、海軍士官である夫がアメリカに帰国し、 帰ってくるという約束が反故になったのでは?という下女にきっと夫は帰ってくると信じている蝶々さんが歌うものであり、信頼を暗示していると言われている。


(マンガで学ぶオペラ・シリーズ)

オペラは、演劇と音楽によって構成される舞台芸術であり、歌劇とも呼ばれ、海外の小説や映画のモチーフとしてよく用いられている。しかし、タイトルは聞いたことがあっても内容は知らないということも多い。有名オペラのあらすじを紹介しながら登場人物についてエントリーしていくシリーズである。

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