映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 – 島田 裕巳 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

映画には見方がある。“通過儀礼”という宗教学の概念で映画を分析することで、隠されたメッセージを読み取ることができる。日本とアメリカの青春映画の比較、宮崎映画の批判、アメリカ映画が繰り返し描く父と息子との関係、黒沢映画と小津映画の新しい見方、寅さんと漱石の意外な共通点を明らかにする。映画は、人生の意味を解釈する枠組みを示してくれる。

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書評・レビュー・感想

本書のタイトルから映画にはこういう見方もあるよという提案かと思ったが、少し違った。どちらかといえば、ある個人の映画の分析、評価である。著者独自の映画の見方という「型」があるわけではない。
ローマの休日、スタンドバイミー、櫻の園、魔女の宅急便、マイガール、生まれてはみたけれど、フィールド・オブ・ドリームス、スター・ウォーズ、いまを生きる、愛と青春の旅立ち、エデンの東、理由なき反抗、白痴、晩春、秋刀魚の味、東京物語、男はつらいよシリーズなどさまざまな映画について著者の視点からの分析が書かれている。
まずまずの内容だとは思うが、○○という映画には矛盾が見られる・・・的な内容には少し首をひねらざるをえなかった。ある種、1本の映画はその監督にとっては完成品であるため、矛盾があるとするならその意図が読み取れていない可能性もある。(意味がないことも多いが)
そういった自分の見方、読み取り方の不全の可能性を検討しないのは読んでいていかがなものかと少し思った。物語の構造が似ている作品を取り上げて分析している点などは良かったと思う。
著者は宗教学者であるので、宗教としての映画という視点がもっと含まれていてもよかったのではないかと思う。そのあたりを期待したのだが。。。一応、本書には宗教としての映画について述べられている部分があるが、少なく、著者独自の視点というよりは、神話学者のジョセフ・キャンベルの話でお茶を濁した感じである。
映画を分析的に見たい、読み解きたいという人にはちょっと不満が残るかもしれないが、映画の見方について考えたことがなかった人にとっては新しい刺激になるかと思う。

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