【この記事の所要時間 : 約 2 分】
つつじを見に駒込にある「六義園」へ行ってきた。
六義園は、1702年に川越藩主の柳沢吉保が築造した庭園であり、江戸の大名庭園の中では屈指の名園と言われている。柳沢吉保は、この庭園の設計に7年以上も費やしたようである。
入場料は大人300円也。
一眼を持って行っていなかったので、写真はiPhoneで撮影。
六義園は、柳沢吉保没後は荒れる一方であったらしいが、明治期に入り、岩崎弥太郎の別邸の一部となったことで再び、昔の美しさを取り戻したようである。その後、昭和13年に岩崎氏から庭園を市民の鑑賞・休養の地として東京市に寄贈され、現在に至っている。
着物姿の方もちらほらいたので、非常に趣深かった。
Wikipedia – 六義園
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。
柳沢吉保自身は、庭園を「むくさのその」と呼ばせ、館を「むくさのたち」と読ませていたとのこと。
平坦な土地に土を盛って作った「藤代峠」からは、庭園全体を一望できる。藤代峠は、標高35mであるが、なかなかの見晴しだった。
庭園の形式は、回遊式築山山水庭と呼ばれるものであり、庭園の中央に池を設け、中島を置き、東南部に平坦な芝生を設け、その他の部分には大小の築山が起伏し、庭園の北部に最大の築山である藤代峠が設置され、各所に茶屋やあづまやを配している。
下の写真に写っているのが、「蓬莱島」と「臥龍石」である。本来の島には松の木があったようであるが、東日本大震災で石組みが崩れたため、松も倒れてしまったとのこと。
臥龍石は見にくいが、中島の舟屋の左手にある。名前の通り、龍が伏せているような形の石が水面から顔をだしていた。
「万葉集」や「古今集」から名勝を選び、庭園内に八十八境を映し出すというのが六義園の構想のようである。
池の中には、鯉と亀がたくさんいた。
六義園といえば、ツツジであるが、ここでは江戸キリシマ系やリュウキュウ系、オオキリシマ系の他、自生種のツツジをたくさん見ることができる。
東京のおススメスポットである!