★★★★☆[映画] マリア – The Nativity Story (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

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ヨセフとの婚約中に身ごもってしまったマリアは小さな村の中、村人から蔑まれる日々を送る。しかし、ただ一人、神の子を身ごもったと申し出るマリアの言葉を夫ヨセフは信じるのである。“救い主”誕生の預言に怯えていたヘロデ大王から逃れ、ヨセフの故郷ベツレヘムへ夫と共に旅をすることを決めるマリア。ナザレからの200キロの道中、様々な困難を乗り越えながらマリアは女性として母として成長し、ヨセフは献身的にマリアを支えいく。そして、ベツレヘムの小さな馬小屋で歴史に残る奇跡の瞬間を迎える。これはイエス・キリスト誕生までの信じあう夫婦の物語。

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。

聖書を読んだことがある人であれば、なぜナザレに住んでいたマリアがベツレヘムの馬小屋でイエスを生むことになったのかは当然しっているかと思うが、読んだことがない人は知らないと思う。そういった基礎知識がなくてもイエス誕生までのストーリーを知識として理解するにはなかなかいい作品だと思う。もちろん事前にさらっと聖書を読んでおくとより深く楽しめると思う。

タイトルがマリアなので聖母マリアの物語かと思ったが、よく見るとこれは、ヨセフの物語だと感じた。ヨセフはイエスの父親ではないが、養父である。そしてヨセフとマリアの間に性交渉がなかったことを強調するために宗教画では老人として描かれることが多いが、本作品でのヨセフはマリアより少し年長の若者として描かれている。

Wikipedia – ナザレのヨセフ

ナザレのヨセフないしイオシフは、新約聖書に登場するマリアの婚約者、夫にしてイエスの養父。職業は大工であったという。マリアは聖霊によって孕んだとあるため、ヨセフは伝統的に「イエスの父」ではなく「イエスの養父」と表現される。各福音書には、養父ヨセフの人生の終わりに関する記録はないが、伝承によれば、ヨセフはイエスが公生活を開始する直前に亡くなったという。労働者の守護聖人であり、大工であったヨセフの像はしばしば大工道具を手に持っていることがある。西ヨーロッパの絵画ではしばしば老人として描かれるが、これはヨセフとマリアの間に性交渉がなかったことを強調するために、ヨセフを生殖能力のない男性としたものと考えられる。

もちろん本作品は、信仰をもとにした作品であるので、マリアが聖霊によって子供を宿し、それをマリアとヨセフが神のおつげを通して信じていくストーリーとなっている。宗派によってはマリア信仰のような生まれついてマリアが聖人であったとする教えもあるが、映画ではごく普通の人間として育ち、苦悩を抱えながら生きていく姿が描かれている。信仰を持たない身としても映画の中ではやはりそうしたマリアを支えていくヨセフの姿には何か感じるものがあった。そのあたりがこれがヨセフの物語だと感じた理由かもしれない。

いとこであるエリサベトに男子(洗礼者ヨハネ)が生まれることを神の啓示によって知ったマリアが、それを確かめるためにエリサベトの元に旅をし、実際に男子が生まれるのを確認するシーンなどは人間・マリアが神を信じたいが、完全には信じきれない様子が出ていて、実際こうだったのかもしれないなあと思わされた。なぜ自分に?という戸惑いもマリアの人間性を表していたと思う。また周囲の厳しい目なども実際にあったと思わされるリアリティがあった。



受胎告知の場面では、大天使ガブリエルが出てくるが、宗教画にあるような見台もなければ、百合もなく、天使に羽が生えていないことなど少し違和感があった。



聖書や書籍ではわかりにくいのが、素朴な当時の生活風景などであるが、映画で見るとなるほど、こういう生活だったのか!とすっと頭に入ってきた。これこそ映像の力だと思う。



ベツレヘムへ向かう途中、ロバに川を渡らせるシーンで悪魔の化身である蛇に襲われたり、神の啓示があったあとに聖霊の象徴である鳩が飛んでいたり、宗教的シンボルが随所にでていた。

はじめは親が勝手に決めた結婚に乗り気でなかったマリアも旅を通して、他人を想うことのできるヨセフを少しづつ愛していく様子は、素朴な夫婦愛として見ることもできた。



イエス誕生(降誕)の映像はかなり宗教チックではあるが、これがクリスマスの意味と考えるとこれくらいは必要なのかもしれないと思う。キリスト教的な立場から見れば、旧約聖書的時代から新約聖書時代へと切り替わった瞬間の出来事なのだから。現在でも旧約聖書のみを聖書とするユダヤ教では、イエスをメシア(救世主)と認めていないが、ユダヤ教の予言からイエスがメシアであることを信じた人たちの末裔であるキリスト教徒は旧約聖書と新約聖書の両方を聖書としている。



東方の三賢者(メルキオール、バルタザール、ガスパール)がどのようにしてイエス降誕を知り、ベツレヘムの馬小屋まで到達したのかのエピソードもユーモラスで面白かった。

東方の三賢者が贈り物として捧げたのは、黄金と乳香と没薬の3つであるが、メルキオールが黄金を捧げる時には「王の中の王へ」という王権の象徴を意味する言葉をかけ、バルタザールが乳香を捧げる時には「聖者の中の聖者へ」と神聖の象徴を意味する言葉をかけるが、ガスパールが没薬を捧げるのを少し躊躇する様子を見せるのは、没薬が将来の受難による死の象徴であるからであり、もともとガスパールがこの旅に乗り気でなかったのは自分の役割(没薬を捧げる)を知っていたからかもしれない。

映画中に流れていたクリスマス・キャロルのひとつである「きよしこの夜(Silent Night)」は、キリスト教徒でなくとも落ち着いた気持ちにさせてくれる。

清し この夜 星は光り
救いの御子(みこ)は 馬槽(まぶね)の中に
眠り給う いと安く
清し この夜 御告(みつ)げ受けし
牧人達は 御子の御前(みまえ)に
ぬかずきぬ かしこみて
清し この夜 御子の笑みに
恵みの御代(みよ)の 朝(あした)の光
輝けり ほがらかに

クリスマスに見るにふさわしい作品である。

Wikipedia – イエスの母マリア

イエスの母マリア(イエスのははマリア、Maria Mother of Jesus)は、ナザレのイエス(イエス・キリスト)の母。ヨセフと婚約。結婚前にイエスを身ごもった。ヨセフは婚約者のマリアが身ごもっていることを知る。律法に忠実な義人であればマリアを不義姦通として、世間に公表し、申命記22・23に基づく石打ちの刑にする権利があったがそれを行使せず、全てを受け入れマリアと結婚した。ただしこのことはヨセフが神を深く信じ、情け深かったからであり、義人でなかったことを意味するものではない。 イエスの磔刑の後、晩年はイエスの十二人の弟子・使徒の一人である使徒ヨハネとともに小アジアのエフェソスで余生を送ったとも伝えられる。

この後、イエスは、大きくなり、約30年の私生活を経た後、公生活へと入る。そして受難(パッション)を迎えることになるが、本作品「マリア」がイエスの始まりの物語とすれば、イエスの終わりの物語がメル・ギブソン監督の「パッション」である。

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