江戸の下半身事情 – 永井 義男 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

江戸は、前近代的な政治システムと重苦しい世間体に支配された街だった。日々ある夜の生活も不自由極まりない。ゆえに過剰ともいえる性風俗の繁栄がもたらされる結果となる。かのシーボルトが品川宿で目撃したのは、位の高い御仁が白昼堂々と娼家に出入りする姿だった。「まるでコーヒーでも飲みにいくかのように!」と驚嘆しながら、彼は記した。

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書評・レビュー・感想

江戸の性風俗を現代の視点から評価したものである。著者は、性風俗に限らず、現代では江戸時代の生活全体を過度に美化する傾向があることに注意を促しており、とても印象的だった。
江戸の性風俗では、「割床」という制度が一般的だったらしく、これはいわゆる相部屋のことである。六畳の部屋に寝床を2組、または八畳の部屋に寝床を3組ということらしく、その仕切りに屏風が使われたという。屏風にもいろいろな使い方があるなあと感心した。
歴史小説などでたまに出ている出会茶屋というものについても詳しく書かれていた。これは現代でいうところのラブホテルのようである。たいていは2階建てで1階に老婆が座っていて、盆に茶碗を二つ載せて渡しながら空いている座敷の場所を告げるだけというシステムらしく、客自身に茶の盆を運ばせるのもあとで座敷に行かなくても済むようにとの配慮であるらしい。座敷に入れば、そこは2人だけの空間というわけ。なるほどね。
当時は避妊に有効な道具も知識もなかったため、かなりの数の堕胎が行われていたようである。そして堕胎の専門医のことを「中条流」というらしく、中条流女医者とは女医の意味ではなく、堕胎専門医のことを意味するとのこと。知らなかった!
落語に「五人廻し」という演目があるが、これは一人の遊女が一度に五人の客の相手をするダブルブッキングの5人バージョンである。このような廻しは制度化させていてごくごく一般的だったようで、落語のように5人を廻していたかどうかはわからないが、廻し自体は事実のようである。
江戸時代にも男色がいたようで、男色専門の陰間茶屋というのがあったらしい。不思議なもので、陰間の世界では関東出身者は雅に欠け、上方からの下りが高級とされていたらしい。そういえば、先日見た「るにん」という映画では、八丈島に流された流人の中に原作にはなかった男娼と思わしき人物がいたが、その人物は京言葉を使っていた。当時のそういった風習に応じたキャスティングだったんだとこの本を読んで気付いた。なるほどね。

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