★★★★★[映画] ブレードランナー – Blade Runner (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 7 分

2019年、酸性雨が降りしきるロサンゼルス。強靭な肉体と高い知能を併せ持ち、外見からは人間と見分けが付かないアンドロイド=「レプリカント」が5体、人間を殺して逃亡。「解体」処分が決定したこの5体の処刑のため、警察組織に所属するレプリカント専門の賞金稼ぎ=「ブレードランナー」であるデッカード(ハリソン・フォード)が、単独追跡を開始するが・・・

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。

ミルトンの「失楽園」をモチーフにした、人はなぜ生まれてきたのか、人生にはどんな意味があるのかを問うSF作品である。

本作品の宇宙から逃亡したレプリカントは、天界から追放された堕天使を表しており、逃亡レプリカントのリーダーであるロイは、堕天使ルシファーを暗示している。ミルトンの「失楽園」では、神に最高位の天使として仕えていたルシファーが神に叛逆して敗れた後に天界から追放された堕天使(悪魔サタン)となったルシファーの再起とルシファーの人間に対する嫉妬が描かれているが、本作品では、神の象徴である自分たちレプリカントの創造主・タイレルの意思に反し、宇宙から地球へ逃亡したレプリカントも人間のように子孫を残し、長く生きることができるようにするために戦う様が描かれている。



また、堕天使ルシファーを暗示するロイは、神の子イエスの役割も担っている。それは、タイレルをファーザーと呼んだり、デッカードとの戦いの際にイエスの磔の象徴である手のひらに釘を刺すことなどの行動によってあらわされている。ロイの死は、堕天使ルシファー(悪魔サタン)の引き起こした原罪を贖うため自らを「贖罪」の贄としたイエスのエピソードをモチーフにしており、ロイが死ぬ際に聖霊の象徴である白鳩を天に離すシーンは苦難から解放され、贖罪を果たしたことを意味している。ロイ(イエス)、白鳩(聖霊)、天(神)は、キリスト教における基本概念の三位一体を表していると思われる。



逃亡レプリカントの1人であるプリスは、植民星の慰安用レプリカントであるが、これは「娼婦」を意味しており、イエスを暗示するロイのために命を投げ出すことなどから、ゴルゴダの丘でイエスの最後を見守ったマグダラのマリアを暗示していると思われる。



美女であり野獣でもあると言われた逃亡レプリカントのゾーラは、ナイトクラブでスネークショーを行っているが、このシーンで、「さて皆様、ミス・サロメのスネークショーです。人間を誘惑して堕落させた蛇から彼女は快楽を引き出します。」というアナウンスが流れる。ゾーラの芸名がミス・サロメであるが、サロメといえば、ヘロデ王に、祝宴での舞踏の褒美として「好きなものを求めよ」と言われ、母ヘロディアの命により「洗礼者ヨハネの斬首」を求めたと言われるサロメである。イエスに洗礼を施した聖者ヨハネの首を取った悪女として有名であり、悪魔の象徴である蛇とともに出てくることから罪深い悪魔(堕天使)の象徴として登場している。



ブレードランナーは、2019年の設定であるが、進歩した科学と多様な文化が混ざり合いカオスな世界感となっている。ロサンゼルスには酸性雨が降り注ぎ、日本語や中国語、ベトナム語などが街にあふれ、高層ビルが立ち並んでいながら、廃墟やゴミがあふれていることなどからアジア的な雰囲気となっている。

このような世界感やデッカードの銃、空飛ぶパトカーなどの細部がマニアに好まれているのも分かる気がするが、未来世界がよりよくなるというよりは、より廃退的になっていくと考えて作られている。



元上司ブライアントからブレードランナーへの現場復帰を強要された際に、仕事を断ろうとしたデッカードへのあてつけに、ガフは折り紙でニワトリを作っている。これはニワトリ→チキン→臆病者という暗示だが、最後のシーンへの布石でもある。



ロイとの戦いに生き残ったデッカードは、ガフからレイチェルを匿っているのはバレていると示唆され、自宅へ向かった後、ドアの前でユニコーンの折り紙を見つける。このユニコーンは、デッカードが見たユニコーンの夢を暗示し、ガフがデッカードの夢の内容を知っていること、つまり、デッカードもレプリカントであることを観客に示唆する内容となっている。

デッカードがレプリカントであるかどうかについては様々な意見があるようであるが、個人的にはデッカードはレプリカントであると考えている。それはこの映画のモチーフとなっているのが「失楽園」だからである。



アダムイヴは、一度は神の命令に背くものの、自ら罪を犯したことを認め、悲哀を胸に抱いて己の罪の報いを自らの意思によって引き受ける物語である。

逃亡レプリカントたちは、NEXUS6型であるが、タイレルはレイチェルを今までと異なるタイプだと述べていることから、いわゆるNEXUS7型である可能性が高い。そしてこの映画が「失楽園」をモチーフとしているならば、NEXUS7型の女性版だけではなく、男性版も作っているはずである。なぜなら創世記で神は自分の姿に似せて男と女を創ったとあるからである。望まずして神(タイレル)に作られ、楽園を追放されたアダム(デッカード)とイブ(レイチェル)は共感し、自分の存在の意味に苦悩し、悪魔サタン(堕天使ルシファー)は自我に目覚めた近代的主体としての人間の象徴として描かれていると思われる。

逃亡レプリカントは、NEXUS6型であるが、NEXUS7型と考えられるレイチェルやデッカードは逃亡レプリカントと異なりフィジカルレベルが低く、逃亡レプリカントに格闘ではさんざんにやられるレベルである。フィジカルレベルと寿命はトレードオフの関係であることはタイレルのセリフから示唆されるため、タイレルはより人間に近いフィジカルレベル、寿命を持つNEXUS7型を開発し、そのプロトタイプがレイチェルとデッカードであるというのが私の考えである。



映画の中で、レプリカントの目がオレンジ色に光る時があるが、デッカードがレイチェルに助けられた後に自分のアパートでレイチェルと話しているシーンでは、デッカードの目もオレンジ色に光っている。

また、過去の記憶を移植されているためレプリカントが写真に執着するシーンがあるが、デッカードのピアノの上にも家族写真がたくさん飾られている。しかしながら、2019年であるはずなのに、デッカードが持っている写真はすべて白黒写真でカラーがない。これもデッカードが記憶を移植されている可能性を示唆していると思われる。

レイチェルがタイレルの姪の記憶を移植されていることから、デッカードもタイレルに近しい人の記憶を移植されている可能性が高い。白黒写真などから、タイレル自身またはタイレルの父親や兄弟などの記憶を移植されているかもしれない。



最後に、街から脱出するシーンではデッカードのナレーションにて「レイチェルの寿命は限られていない。お互い何年生きられるか、誰にもわからない」と締めくくられているが、これは、楽園(神のいる場所)を追放されたアダム(デッカード)とイブ(レイチェル)が土に帰る宿命(死の宿命)を背負って旅にでることを示しており、なぜ生まれてきたのか、どんな意味があるのかを問う人生の旅を暗示していると思われる。

非常に示唆深い、面白い作品だと思う。

ブレードランナー: ファイナル・カット (字幕版)

P.S. これは個人的な解釈であり、他の解釈を否定するものではありません。

失楽園 (まんがで読破 96)
ミルトン バラエティアートワークス
イースト・プレス
キリスト教シンボル事典 (文庫クセジュ)
ミシェル フイエ
白水社
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