★★★★★[映画] イージー・ライダー – Easy Rider (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 6 分

60年代、それはイージー・ライダーの時代だった。マリファナ、ベトナム戦争、ヒッピー…。さまざまなムーブメントに揺れるアメリカを風のように駆け抜けたふたりのライダー。彼らの生き方を通じて時代を映し出した野心作である。第22回カンヌ映画祭新人監督作品賞を受賞。主演は反逆の名優ピーター・フォンダ、そして監督も務めたデニス・ホッパー。共演には、あの“怪優”ジャック・ニコルソン。

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。

先日、ジャック・ニコルソン主演の恋愛小説家を観てよかったので、ジャック・ニコルソンが出ている映画でまだ観ていないものを探してこれだ!ということで観たのがアメリカンニューシネマの代表作である「イージー・ライダー(Easy Rider)」である。

これは、まさにアメリカを体現する2人のライダーが、自由であるが故に自由を求める多くのアメリカ人から拒絶され殺されてしまう、受難と贖罪の物語である。



ピーター・フォンダ演じる主人公の一人、ワイアットがキャプテン・アメリカと呼ばれ、バイクのタンクに星条旗を描き、星条旗が描かれた上着を着ていることから彼がアメリカを象徴していることは容易にわかる。ワイアットともう一人の主人公であるデニス・ホッパー演じるビリーの名前は、アメリカの神話とも言える西部劇のヒーローであるワイアット・アープビリー・ザ・キッドからとられている。そのため、保安官とアウトローの違いが彼らの性格の違いに反映されているとみることができる。



本作品は、1969年公開の作品なので、やはり時代性を考えないと理解が難しいものとなっている。時代背景としては、ベトナム戦争まっただ中で、ヒッピーブームなどのカウンターカルチャーが生まれている時代である。日本では学生運動などの時期と重なる。

ヒッピーなどは知識として知っているが実際の雰囲気などはよくわからないので、本作品のように映像としてその生活風景や人々の様子などを見ることができるとより理解が深まる。



1969年といえば、ヒッピーが大きな問題を起こした年でもある。ヒッピーのコミューンにてカルトをしていたチャールズ・マンソンによるテート・ラ・ビアンカ殺害事件である。オウム事件の際も類似犯罪として挙げられたことがある。
この作品でも太極拳をするコミューンのリーダーがでてくるが、ヒッピーの中には東洋的な思想にかぶれた人も多く、より自然に近い状態に戻る退行的な運動であるが、当時のことを知らない自分からみると少しの共感もできない。



ヒッピームーブメントによってドラッグやフリーセックスなどの流行があったが、それを反映して本作品にもコカインの密売やマリファナ、LSDの使用などのシーンがふんだんに盛り込まれている。

ワイアットは精神的な充実を求め、ビリーは物質的な充実を求めている。バイクのパンクを直すために道具を借りた農夫にワイアットは「あなたはここを見事な土地にした。独立して生きるのは立派だ!」と言い、ヒッピーのコミューンにて不毛の土地に種をまく若者にビリーは疑問をていしたが、ワイアットは共感をもって眺めている。またビリーは「金持ちになったし、フロリダで引退生活をしよう!」というが、ワイアットは「そりゃ無理だ」という。精神的なものを求めるアメリカン人もいるし、物質的なものを求めるアメリカ人もいる。2人の主人公はそのどちらをも含んでいるため2人でアメリカの象徴と言えるかと思う。



ジャック・ニコルソン演じるジョージが、地元住民の夜討ちで殺された後、彼が行きたがっていた娼館へ2人は行くが、そこに登場する娼婦の名前がカレンとメアリーである。娼婦とメアリーといえば、明らかにマグダラのマリアを暗示している。この時、やはりこの映画は受難と贖罪の物語であるなあと感じた。

娼婦たちと2人は墓地でLSDをやりながら戯れるが、女神の像に哀願しながら抱きついているワイアットは、自由の女神への皮肉であり、アメリカ人の心情を象徴したものであるとデニス・ホッパーが述べていた。



受難と贖罪の物語であるので、娼婦メアリーと十字架の前で抱き合うワイアットは、イエスの受難を見守ったマグダラのマリアとイエスを表しており、この後、ワイアットが死ぬ運命にあることを暗示していると感じた。娼婦たちと2人がLSDをやるシーンは、LSDをワインで飲みこんでおり、これには聖餐の意味があるのだろう。

そして、最後のシーンは、アメリカ人を象徴する2人がアメリカ人の罪を背負って死んだという意味に受け取れるだろう。銃で殺されるのもやはりアメリカを象徴していると思われる。



イージー・ライダーでは、さまざまな音楽が使われているが、特にステッペン・ウルフの「Born To Be Wild」が非常に有名である。この歌を聞くとイージー・ライダーを思い出すという人も多いらしい。



ヒッピーのコミューンで知り合った女の子たちと水浴びをするシーンであるが、調べたところによるとピーター・フォンダが肺炎だったので別々に撮影されたらしく、見直してみるとたしかに4人が同じ画面に映っているシーンはなく、3人のシーンと1人のシーンがつなぎ合わされていることがわかる。3人のシーンでも4人目の足だけ見えるシーンがあるが、あれはたぶん別の人なのだろう。こういうメイキング情報から撮影方法を知るというのもなかなか面白いね。

同じアメリカン・ニューシネマの代表作である俺たちに明日はないと同じ結末となったが、やはりドロップアウトした犯罪者(反社会的な人間)の結末として政治的には正しいのだろうと思われる。

イージー★ライダー (字幕版)

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