★★★★★[映画] マルホランド・ドライブ – Mulholland Drive (レビュー・感想・解説・ネタバレ)

【この記事の所要時間 : 約 6 分

デイヴィッド・リンチ監督が贈る、カンヌ国際映画祭監督賞に輝いた衝撃のミステリー。濃厚な闇に覆われた真夜中の山道を走る1台の車。やがてぼんやりとしたヘッドライトに浮かび上がる“マルホランド・ドライブ”の標識。それは一度知ると何度でも味わいたくなる、美しくも妖しいワンダーミステリーへの入り口だった…。

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レビュー・感想・解説・ネタバレ

完全ネタばれなので、映画未視聴の方は、決して読まないように。

デイヴィッド・リンチ作品といえば、難解な作品が多いので、序盤からしっかり整理しながら観た。なかなか不思議な作品で、いろんな意味でおかしなところがあったが、どこかに罠があるにちがいないとチェックしながら観た。はじめは、死者リタが成仏できずにいるあの世とこの世の間の世界の話かなと予想しながら観ていたが、青い箱が出てきたあたりから急激に物語が展開していき、振り落とされそうになる。しかし、ベティ = ダイアンである映像を見て、これは夢である可能性が高いと考えた。その後、リタ = カミーラ、大家ココ = アダムの母親であることがわかった時にこれは夢の物語であることを確信した。夢の話であることを理解した上で、いままで見た分を踏まえながら、それからの映像を見ると、有望な女優であるベティではなく、端役でぱっとしない役者であるダイアンの方が現実であることがわかり、映画を観終わった瞬間には、これがダイアンが見た夢(ベティ)の話であることまで把握できた。

その後、再度、構成や仕組みを理解するために2回目の鑑賞をすると、大枠がはっきりと浮かび上がり、細かな発見もたくさんあった。

1回目にこの映画を見た時になかなかどんな映画なのか理解できなかったわけは、いきなり「夢」の話から入って、あとから「現実」がやってきたからであると思う。その構成さえ理解できていれば、2回目は非常にわかりやすく面白い作品として観ることができる。

まず現実部分のストーリーは、ハリウッドで一生懸命やっているがなかなか運が開けないダイアンと一流女優となっているカミーラがいる。昔、あるオーディションで知り合ったことから仲良くなり、2人は恋人関係となるが、ハリウッドで成功をつかんだカミーラとそうではないダイアンはうまくいかなくなってしまう。そうしているうちにカミーラに誘われたパーティでカミーラと有名監督であるアダムが結婚することを知る。カミーラから決定的な別れを示されたダイアンは、カミーラを殺害することを決意し、街のファーストフード店で殺し屋にカミーラ殺害を依頼する。殺し屋は殺害がうまくいったら青い鍵を送るといい、殺人の容疑がかからないように数週間自宅で引きこもることになる。好きだったカミーラの殺害を依頼したダイアンの精神は蝕まれていき、追い詰められ、自分の目の前に青い鍵をあることのを見つけた後、自暴自棄となり、最後には自殺する。その死の瞬間に見た夢が本作品の冒頭からはじまる部分かと思われる。

夢部分では、リタ(カミーラ)が殺される直前に自動車事故が起こり、そこから1人生き残るところから始まるが、夢だとして見ると当たり前だが、現実にあのような事故でほぼ無傷で生き残るのは難しいかと思われるのでやはりあれは夢である。自分の夢でもそうだが、子供のころの友達と会社の同僚が一緒に遊んでいたり、行ったことはあるがどこだか覚えていないところが自宅だったりと意味不明なものが多い。断片化された現実が適当に再構成されたためにつじつまがあわないのが夢であるからである。そして夢には自分の深層心理が影響しており、不安な心理状態だと落下する夢や高い場所で不安定になる夢をみがちである。これはダイアンの夢にもあてはまる。

現実のダイアンは、カミーラを愛していたが、カミーラはもうダイアンに愛情がなくなっている。だからこそ夢の中のカミーラ(リタ)は、ダイアン(ベティ)に愛を示し、ダイアン(ベティ)なしでは生きていけない姿として描かれており、短い金髪のかつらをかぶることでカミーラ(リタ)とダイアン(ベティ)が同一化する様子も描かれている。これはダイアンが深層心理でカミーラを求め、カミーラになりたいという気持ちが表われていると考えられる。

夢の中で出てくる監督アダムは、なんだかよくわからないハリウッドの大物からキャスティングを強制されたり、妻が不倫していたり、家から追い出されたりなど散々な姿となっている。これは、カミーラを奪った恋敵としてアダムにこうなったほしいという気持ちと、ハリウッドでダイアンが成功できないのは、ハリウッドの大物のコネがないからだという自分に都合のよい物語を求めている表われと考えられる。ハリウッドの大物たちがなにか現実離れした姿として描かれているのは、それが現実のものではなく、ダイアンの妄想だからである。

夢の中のベティは、ダイアンの理想像である。有名女優のおばがいて、ハリウッドで初めて参加したオーディションで演技を絶賛されたり、別の映画監督を紹介しようとエージェントに言われたり・・・・。現実のダイアンはこれとは正反対に、たくさんのオーディションに参加しているが、認められず、ハリウッドにコネがないために運がつかめないでいる。そうであればこそ、こうありたい、こうであれば、という思いが夢となって表れていると考えられる。

ダイアンの夢の中での名前がベティになっているのは、殺し屋に殺害を依頼したファーストフードのウェイトレスの名前がベティであったからであり、もしかすると、ダイアンはそのファーストフードで昔働いていたのかもしれない。女優の卵の多くは演技だけでは食べていけず副業としてウェイトレスなどをやっているので、ダイアンのような売れない女優の象徴としてファーストフードのウェイトレスの名前を使っていると考えられる。

夢の中で不思議なクラブ、クラブ・シレンシオが出てくるが、そこではここが現実でないことを示すヒントがたくさんでている。ここに登場する人物はこんなセリフを言う「これは全部まやかしです」と。ベティ(ダイアン)にここは夢であることを教えていると考えられる。クラブ・シレンシオから帰ってきた時に、1回目鑑賞時に悩まされた青い箱が出てくるが、これは夢を物質化したものであり、この夢を象徴する青い箱を鍵を使って開けるということが夢から覚めるメタファーとなっている。急激に物語が展開したと感じたのは、夢から現実への移行によってそう感じたのだと思う。

夢は、自分が知らなかったことを教えてくれるのではなく知っていたにもかかわらず、知らないと思い込んでいたものを思い起こさせてくれる。マルホランド・ドライブは、まさにそんな夢の映画であった。


マルホランド・ドライブ(字幕版)

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