何もそこまで – ナンシー関 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

・石田純一の演技下手の謎
・梅宮辰夫の無防備さ
・勘違いに拍車がかかる花田家
・糸井重里に見える80年代の亡霊
・北大路欣也が漂わす価格破壊感
・日本テレビCMの安易さ
・徹子の部屋のゲスト芸能人度バロメーター
・野島伸司ドラマの無責任さなど

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書評・レビュー・感想

あいかわらずのコラム集
今回注目したのは、バラエティ番組の「笑い声」の構造だ。これは「笑い声」という結果を発生させることで、原因である「おもしろいこと」が存在したと錯覚させるカラクリである。これを本書では、現象を先に設定することによって原因の部分を勘違いさせるカラクリとし揺れる吊り橋の向こうにいる異性を、その吊り橋を渡り終える頃には、好きになっているという理論で説明している。
そしてCM問題では、CMの中に含有されている「考え」の量について考察している。まずCMとして見る人に喚起させたい心像というのが具体的にあって、それを達成するために考える、その考えの量または深さがある。この量とその喚起能力のバランスが問題だという。高いところでシンクロしていれば、文句はない。両者が大きくずれていれば、喚起能力だけ高値なら「まぐれ」とよばれ逆は「考えオチ」と呼ばれる。なるほどなあ。
って評価というか今回は内容の説明になってしまった。相変わらず、悪くはない本である。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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