北極圏一万二千キロ – 植村 直己 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 10 分

酷寒の極地は、現代に残された最後の冒険ランドだ。ブリザードをつんざき、ツンドラを征服し、白熊の恐怖と闘いながら、冒険男・植村直己はただ一人行く。極地犬だけを友として、グリーンランドからカナダ、そしてアラスカまでの1万2000キロを1年半かけて完全走破した不滅の記録。

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書評・レビュー・感想

先日読んだ、「極北に駆ける」に続く北極圏探検の書である。

出典:ナショナルジオグラフィック 植村直己 夢の軌跡
前著は、グリーンランドのシオラパルク村での極地トレーニングからグリーンランド3000キロの単独犬橇旅であったが、本書はその後、再びこの極地へ戻り、グリーンランドのヤコブスハウンからアラスカのコツビューまでの北極圏1万2000キロの単独犬橇旅について記したものである。
1万2000キロの行程をざっくり地図に書いてみたらこんな感じであった。
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前著でのグリーンランド3000キロの単独犬橇旅が、シオラパルクとウパナビック間の往復だったことを考えると、まさに大冒険である。
実際は、ヤコブスハウンは氷がなかったので、隣のケケッタ部落から出発している。この旅は苦難の連続であるが、ウパナビックに行く前にいきなり大きな事件が起こる。それが、すべての犬に逃げられて、橇と著者だけが取り残されるという考えるだけでも恐ろしい状況である。その時の状況が以下のように書かれている。

曳綱をほどこうとしていたとき、どうしたわけか、犬たちが喧嘩をはじめた。犬は二組に分かれて吠えあい、嚙み合う。曳綱をほどき終えようとしていた私は、「オーレッチ」(動くな)と大声で叫んだ。私に叩かれると思ったのか、入り乱れていた犬たちが、私から離れようとしていっせいに曳綱を引っ張った。その力は強く、私の二本の腕では支えきれなかった。一瞬、私は曳綱を離してしまった。身軽になった犬は、あっという間に曳綱をつけたまま走り去って闇の中に消えた。「アイー、アイー」叫びながら懸命に追いかけた。闇の中で答えるものはなかった。一瞬の出来事に、私は茫然自失した。私はすべてを失ったのだ。橇の上にへなへなと座り込んだ。どうしよう、どうしよう。俺はたった一人で、暗闇と寒気と氷の中に取り残されたのだ。ムチを振り、棒や鎖まで叩きつけた罰が当たったのだろうか。めざすウパナピック部落までまだ六十キロ以上ある。それなのに俺はたった一人、ここに置き去りにされた。

その後、リーダー犬が5頭の犬を連れて帰ってきてくれ飛びあがって喜んだと書かれているが、この時13頭の犬の半数以上を失っている。ウパナビックになんとか到着した後もこの旅ではアルコールを一切口にしないと誓っていたが、数本のビールを飲み泣いている。大冒険家も人間である。

出典:ナショナルジオグラフィック 植村直己 夢の軌跡
また、その後、ゴットソアからサビシビック間の450キロの無人地帯にて乗っていた氷が割れ、犬や橇が海に沈んでしまうという絶体絶命のピンチにも見舞われている。

走り始めた犬たちはいうことを聞かない。足まかせに、走りやすいルートをとるのだ。次第に古氷から離れ、新氷の上に大胆に出て行ってしまう。「コラ、出すぎだ、アッチョ、アッチョ」(右へ、右へ)、そういって、犬にムチを振りかけたとき、ズブン、という音とともに氷が割れ、いちばん左側を走っていた犬が海水に落ちた。割れ目は広がり、三、四頭が続いて落ちた。「しまった!」、私は橇からころがるようにしてとび降りた。足下の氷に裂け目が走り、氷盤がたわんだ。両手をつき、四つん這いになって、古氷の上に逃れた。四頭の犬が海水につかってもがいている。橇が先端を海水に突っ込むと、橇の下の氷が割れはじめ、みるみる海水に沈み始めた。四頭の犬は、沈みかけた橇を足場にして氷の上に這い上がろうとしてもがいた。しまった、しまった。目の前で沈んでいく橇、曳綱をつけたまま懸命に古氷のほうへ逃れようとする犬たち。だが私はどうすることもできない。恐怖と絶望で、古氷の上に釘づけになったまま、動けない。ただ沈んでいく橇を茫然と見ていた。橇の前方に積んだ三頭のアザラシが水中にかくれ、ずりおちるようにして橇は徐々に姿を消し、後部の長柄の先端だけが最後まで出ていたが、やがて長柄に固定してあった修理具と狩猟用具の入った袋ともども水中に没した。私の手に残っているのは、握っていたムチ一本だけだ。食糧も、装備も、すべて失ったのだ。「ああ、ここで俺は死ぬのか」―――沈んでいく橇を見ながら、ただそれだけを思った。エスキモー部落からは遠く離れている。誰の助けも得られない。装備もない。食糧もない。俺は凍死してしまう。涙が流れた。

このピンチには不屈の闘志で、海から橇と犬をなんとか引き上げている。奇跡的にこの絶体絶命のピンチで彼は何も失わなかったのである。
旅の前半部分でこのような危機を乗り越えたため、その後の旅では、犬を失うこと、橇を海に入れてしまうことに細心の注意を払って旅を続けている。

出典:ナショナルジオグラフィック 植村直己 夢の軌跡
グリーンランドのシオラパルクから先のスミス海峡を渡ったエルズミア島からはカナダ領であり、前著「極北に駆ける」の旅では未踏の地であるため、ここからがこの旅の本番であり、より読み応えがある部分であった。
NHKスペシャル「日本人イヌイット 北極圏に生きる」でグリーンランドで生きる日本人イヌイットとして登場していた大島育雄さんが本書でも少し登場している。現地のイヌイットと結婚した大島さんが、植村さんのためにセイウチ4頭をカナダ北部の無人地帯にデポしてくれていたくだりである。
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大島育雄さんは、植村直己さんがシオラパルクで極地トレーニングしていた時に一緒に住んでいた仲で、前著「極北に駆ける」では一緒に釣りをしたりしている。
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植村直己さんは、明治大学山岳部出身であるが、大島育雄さんは日本大学山岳部出身だとのこと。シオラパルクに来て、イヌイット生活にどっぷりとはまってしまったらしい。
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植村直己さんの北極圏一万二千キロの旅は1974年12月から1976年5月までの約1年半であるが、上記の大島育雄さんの写真は1973年であるため、植村さんのためにセイウチ4頭をカナダ北部の無人地帯にデポする1年ほど前の写真かと思われる。
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その後、大島育雄さんは現地のイヌイットと結婚し、子供をもうけ、孫もでき、男3世代のイヌイット生活をNHKが特集したのが、NHKスペシャル「日本人イヌイット 北極圏に生きる」である。
著者の北極圏一万二千キロの旅の最初から最後まで橇を曳きつづけたリーダー犬の名前もアンナであることからなにか共通点があるのかもしれないと感じた。
大島育雄さんの関連書籍について
植村直己さんは、前回のシオラパルクでの極地トレーニング時に、シオラパルクの村長であるイヌートソア夫妻の養子となっている。以下の3人での写真である。

出典:ナショナルジオグラフィック 植村直己 夢の軌跡
カナダのイヌイットは、グリーンランドのイヌイットと違い、犬橇ではなくスノースクーターを利用していることが多く、同じ犬でもカナダの犬は大きくても橇を曳くことに慣れておらず、グリーンランドの犬に比べて橇を曳く犬としての力はかなり低いとのこと。これは後半のカナダからアラスカにかけての犬橇旅にはかなりの制限をかけた部分であると本書には書かれている。
ライフルを使った狩猟の腕が未熟なためアザラシやカリブーを捕るのに非常に苦労している様子がうかがえるが、やっと仕留めて、解体し、湯気のたちのぼる新鮮な肝臓をナイフで切って食べている描写などはとてもドキドキした。
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出典:ナショナルジオグラフィック 植村直己 夢の軌跡
カナダのケンブリッジベイに1975年6月12日に到着している。ちょうどここが折り返し地点であり、この部落の近くのアンダーソンベイで氷の上を走れるようになる12月まで越夏している。
その後のツンドラ地帯は、零下50度以下になる厳しい環境であるが、犬や食料のトラブルなど様々なことを乗り越えて、1976年5月8日、最終目的地のコツビューに到着している。読みながら非常に感動した。

コツビューのタワーが見える。体育館のような大きな建物が見える。石油タンクが見える。家々の煙は、風のない空にまっすぐにたちのぼっている。家の前に人が見える。その人影がこっちに向かって駆けてくる。午後十二時四十分、私と九頭の犬はコツビューの海岸に到着した。

以下の写真は、コツビューでマッタ(クジラの皮)をふるまわれ、食べている様子である。

出典:ナショナルジオグラフィック 植村直己 夢の軌跡
すばらしい体験ができる書籍である。
是非おススメ!!
北極横断の植村さん帰国 – 1976(昭和51)年5月16日魚拓

1976(昭和51)年5月16日、北極圏1万2000キロの犬ぞり単独走破に成功した植村直己さんが、アラスカで出迎えた公子夫人と帰国。グリーンランドから1年半かけての冒険。

北極圏1万2千キロ、犬ぞりで単独行 植村直己さん魚拓

1年4カ月余かけてグリーンランドからカナダ、アラスカと北極海沿いに約1万2千キロの単独犬ぞり旅行に挑んでいた冒険家植村直己さん(35)は、目的地であるベーリング海峡沿いの町コツビューに5月8日(現地時間)無事ゴールインした。
74年12月28日、グリーンランド西岸、北緯70度地点のゲゲルターク村を犬12匹とともに出発、零下50度という極限状況と闘いながら、オーロラの下をひとりぼっちの旅を続けた。昨年6月12日、カナダのエスキモー村ケンブリッジベイに着き約半年間夏を過ごした。同年12月15日旅を再開、犬の死や食糧不足などの危機を乗り越え、ついに「冒険野郎」の業績に新しい1ページを加えた。

植村直己さんと、リーダー犬・アンナについて書かれた本もある。

植村直己さんは、1984年2月12日、43歳の誕生日にマッキンリー世界初の厳冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。その後、捜索が行われたが発見できず、やがて生存の確率は0%とされ捜索は打ち切られている。現在に至るまで遺体は発見されていない。そのため、最後に植村さんの消息が確認された1984年2月13日が植村さんの命日とされている。43歳没。その後、1984年4月19日、国民栄誉賞を受賞。

出典:ナショナルジオグラフィック 植村直己 夢の軌跡

写真で知る世界の少数民族・先住民族 イヌイット
レスリー・シュトゥラドゥヴィク
汐文社
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