インカ帝国探検記 – 増田 義郎 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

インカ帝国探検記―ある文化の滅亡の歴史 (中公文庫BIBLIO)
増田 義郎
中央公論新社

高度な文明を築きつつ、スペインにあっけなく滅ぼされた太陽と黄金の帝国、インカ。厖大なスペイン語資料と実地踏査で、壮麗きわまる悲劇を躍動的に再構成する。

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書評・レビュー・感想

ピュリッツァー賞をとったジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」には、16世紀にピサロ率いる168人のスペイン部隊が4万人に守られるインカ皇帝を戦闘の末に捕虜にできた理由が書かれている。
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その理由とは、銃と軍馬であるのだが、そのピサロがどのようにしてインカ帝国を滅ぼしたのか?について膨大なスペイン語資料と実地踏査によって明らかにしたのが本書である。
Wikipedia – インカ帝国

インカ帝国は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が作った国。前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていた。首都はクスコ。

本書は、インカ帝国滅亡の歴史であり、そのインカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロの物語である。
Wikipedia – フランシスコ・ピサロ

フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro、1470年頃 – 1541年6月26日)は、スペイン人のコンキスタドール。ペルーのインカ帝国を征服した。カスティーリャ王国エストレマドゥーラのトルヒージョの生まれで、父はゴンサロ・ピサロ、母はフランシスカ・モラレス。

インカ最後の皇帝であるアタワルパを捕虜にする運命の日の描写は、手に汗にぎるものであった。なぜピサロが皇帝を捕虜にしたか?であるが、これは、ピサロのインカ帝国征服の前に、メキシコを征服したコルテスがスペインで彼にさずけてくれた策略であったらしい。この運命の戦いは、1532年11月16日であり、「カハマルカの戦い」と呼ばれている。
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神父が総督に、アタワルパとの会話をつたえ、聖書を投げつけられたことを報告すると、総督は木綿の胴着をつけ、剣と短剣を持ち、部下を率いて勇敢にもインカ軍の中にはいって行く。そしてあとについてくることのできた四人の勇士とともにアタワルパの輿に近づくと、おそれる様子もなく、その左腕をグイとつかんで「サンティアゴ!」とさけぶ。

この戦いで、168人のスペイン部隊は、わずか30分ほどの間にインカ兵を2000人以上殺害し、インカの大軍は一瞬にして解体、皇帝は虜となって、カハマルカの町の中の石室に閉じ込められることになる。
その後、アタワルパは、釈放の条件である幽閉されていた大部屋1杯分の金と2杯分の銀を提供したが、ピサロはこの身代金が実現しても約束を否定し釈放を拒否し、1533年8月29日にアタワルパは、処刑される。
その後については歴史の通りである。
本書は、1961年の作品であるため、インカ帝国最後の都市であるビルカバンバを、マチュ・ピチュを発見した探検家ハイラム・ビンガムが考えた「マチュ・ピチュ = ビルカバンバ」として説明しているが、その後の調査によりエスピリトゥ・パンパがビルカバンバであることが証明されている。
非常に面白い英雄譚である。
より詳しく知りたい方はこちらへ

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