誰が歴史を歪めたか – 井沢 元彦 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 4 分

歴史の真の姿に迫る徹底討論。日本史を読み解く鍵は怨霊信仰、「江戸」のイメージは虚像に満ちている、“戦前真っ暗説”は嘘に満ちた戦後教育によるもの…教科書にけっして書かれない日本史の実像と、誰もが見過ごしてきた歴史の盲点に鋭く迫る。

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書評・レビュー・感想

日本の神話に関することは昔読んだことがあるが、あまり覚えていないという人が多いと思う。そういう状況で神話とはこういう歴史的経緯から生まれましたととても簡潔に述べられている部分があり、とても勉強になった。
日本神話には、天から降りた神(天津神)が、地に現れた神(国津神)から葦原中国(日本)を譲り受ける話があるが、この神話が生まれる背景は日本は外から来た人間が土着の人を征服して作った国ということがある。征服民が信じた神(天津神)と被征服民が信じた神(国津神)ということであり、征服民が信じた神(天津神)の子孫が天皇というストーリーである。
征服民が信じた神(天津神)の代表である「天照大神」が伊勢神宮に祀られ、被征服民が信じた神(国津神)の代表である「大国主神」が出雲大社に祀られているが、本書で面白いなと感じたのは、世界史では考えられないことに、敗者(被征服民)の神(国津神)が祀られていることに着目していることである。一般的には、征服民が弥生人、被征服民が縄文人と言われている。
怨霊信仰を唱える梅原猛は、第一次の征服民が「大国主神」で、そこに第二次の征服民である「天照大神」の子孫がやってきて、「大国主神」の系統を征服したという説を唱えている。さらに面白いことに、「大国主神」系はもともと中国で農業文化を持っていたが、牧畜をする民族に敗れ、日本に渡ってきたとも考えられると。
梅原説によると、縄文から弥生時代の日本人(縄文人)は、はじめに中国で青銅器文明を作った民族に敗れた農業民族が日本に渡来し、その支配下に置かれ、次にその農業民族にとって代わったのが朝鮮から渡ってきた水稲民族であり、混血が進みながら現在に至り、水稲民族の子孫である天皇が君臨しているという。
出雲大社をそのように見たことがなかったが言われてみれば、なるほどと思わされた。たしかに天皇家の祖先に国を奪われた人を祀ったものではある。大国主神が自らの宮殿建設と引き換えに、天津神に国を譲ることを約束したとされ、その宮殿が出雲大社だから。この大国主神が手厚い崇拝を受けることから怨霊信仰が生まれたとのこと。んー知らなかった!
万葉集は、日本に現存する最古の和歌集であり、天皇から防人まで様々な人間が詠んだ歌が4500首以上も含まれている日本の文化を象徴するものの1つであるが、非業の死を遂げた人の歌を名歌として和歌集に載せるのは鎮魂であり、怨霊信仰抜きには考えられないとのこと。たしかにそういう一面はあるのかもしれない。個人的には、万葉集に関しては、渡辺昇一が述べたといわれる以下の言葉に感銘を受けた。

日本には神の前での平等の観念はないが、歌の前での平等の概念が太古からある

万葉集には女性の歌も多いしね。
小室直樹によると、日本の宗教は怨霊宗教であり、渡来宗教を換骨脱胎させる特異な思想があるとのこと。たしかに渡来宗教である仏教も元とは違ったものになっているし、戒律などもなくなっている・・・。その根底には怨霊の存在があるらしい。(知らなかったが、もともとの仏教は怨霊の存在を認めないし、儒教でも怨霊は否定されるとのこと)
たしかに靖国神社は英霊という怨霊を鎮める社ということになっているし、けんかをして恨みを持ったまま相手が死ぬと怨霊になるため、日本ではけんかせずに仲良く生きていくことを良しとする「和」が生まれたという話もある。
日本の歴史を考える上で「怨霊」を抜きにすると勘違いをするという指摘にはたしかに一理あると思った。いままでそこまで怨霊について考えたことはなかったが、今後は少し頭の片隅に入れておきたいと思う。ちょっと古い本だが、なかなか読みごたえがあった。

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