島焼け – 高田 宏 (書評・レビュー・感想)

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島焼け
島焼け

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高田 宏
新潮社

天明五(1785)年の大噴火で、青ケ島は無人島と化した。辛うじて八丈島に逃れた島民の、故郷に還り住みたいという願いはかなうのか―。後に「青ケ島のモーゼ」と讃えられた指導者・佐々木次郎太夫の成長とともに、人間と大自然の50年にも及ぶ苦闘を描く。

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書評・レビュー・感想

鬼虫」という東京の離島・青ヶ島を舞台にしたマンガを先日読んだので、青ヶ島に関する本を読んでみたくなり手に入れたのが本書である。amazonや楽天booksなどでは手に入れることができなかったので、図書館で借りることにした。
舞台は、江戸時代の青ヶ島である。
青ヶ島は伊豆諸島にある八丈島の枝島であり、山手線の内側とほぼ同じ面積(69.52 km²)の八丈島の10分の1以下の面積(5.97 km²)の島であり、八丈島と青ヶ島の間は、約70キロの距離がある。
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本書は、安永9年(1780年)に始まった噴火活動が天明5年(1785年)になって激しさを増したため、島民が八丈島に避難して無人島になった後、文政7年(1824年)の旧青ヶ島島民全員の帰還、そして島の復興を達成し、天保6年(1835年)に検地を受けるまでの経過が書かれている。実話である。
江戸時代、遠流の刑で島流しにされるのは八丈島が多く、青ヶ島にはほとんどいなかった。理由としては、青ヶ島は絶海の孤島であり、周囲を黒潮が流れ、波が荒く、船での航行は困難を極めることが多かったためである。
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火山である青ヶ島は、天明5年(1785年)に破局的な大噴火がおき、火山灰によって家や農作地を失い、食糧不足、水不足に陥る。島での生活ができなくなり、八丈島へ避難することになる。
1785年5月18日に八丈島から青ヶ島へ視察船が出され、帰りの便で49人が島を脱出し、1785年6月4日に派遣された3艘の救助船では109人が脱出した。その後、波の状態から青ヶ島へ渡航不能状態が続き、その時青ヶ島に残された130人前後の島民は噴火が続く青ヶ島で死んだとされている。
その後、噴火前に八丈島にいた青ヶ島島民約40人と、噴火後に避難してきた約160人の合計約200人の元・青ヶ島島民が八丈島で仮住まいをすることになる。元・青ヶ島島民たちが住んでいたのは、赤い線の部分だといわれている。
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その後、元・青ヶ島島民たちは、青ヶ島へ還住する(起こし返し)ために、幕府へ援助を依頼したり、八丈島島民へ協力を依頼したりと様々な活動を行い、先発部隊を送って調査を行い、数人で移住したりなどしたが、多くの航海で青ヶ島までたどり着けずに行方不明となったり、漂流して別のところに着いたりして、起こし返しは一向に進まない中、名主が漂流先で死去することから長い停滞期に入る。
しかし、大噴火による離島から約30年後の文化14年(1817年)に本作の主人公である次郎太夫が青ヶ島の名主になることによって事態が動き始める。調査によって移住できる環境が整ったとして、少しづつ移住を進め、ついに文政7年(1824年)にほとんどの青ヶ島島民が帰島を果たす。大噴火による離島から40年が経過していた。
東日本大震災が起こり、現在の日本はどのように復興するべきかについて様々な問題となっているが、自然災害によって住む場所を奪われた人たちが復興を果たしていく物語がココにあった。復興にかかわる人すべてに読んでほしい1冊!
本書では、天明5年(1785年)に土佐沖で嵐にあって漂流し、天然記念物アホウドリで有名な伊豆諸島の鳥島(無人島)に流れ着き、そこから青ヶ島経由で13年後に土佐へ帰還したことでも有名な無人島長平もサブストーリーとして登場する。ちなみに、青ヶ島と鳥島の間は、青ヶ島と八丈島の間の約70kmの3倍以上の約225kmもある。
無人島長平(野村長平)の物語は、吉村昭の「漂流」に詳しい。

江戸・天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、不気味な沈黙をたもつ絶海の火山島に漂着した。水も湧かず、生活の手段とてない無人の島で、仲間の男たちは次次と倒れて行ったが、土佐の船乗り長平はただひとり生き残って、12年に及ぶ苦闘の末、ついに生還する。その生存の秘密と、壮絶な生きざまを巨細に描いて圧倒的感動を呼ぶ、長編ドキュメンタリー小説。

大黒屋光太夫、土佐の長平、尾張の重吉―鎖国下の江戸時代に不慮の海難事故に遭って漂流しながら、旺盛な生命力で、奇跡の生還を果たした船乗りたちがいる。『ロビンソン・クルーソー』研究で知られる著者が、彼らの肉声をもとにした詳細な記録を読み解き、それら漂流譚から七人を選んで、江戸時代の漂流者たちの壮絶なサバイバル物語と異文化体験を紹介する。

日本には海洋文学が存在しないと言われるが、それは違っている。例えば―寛政五(一七九三)年、遭難しロシア領に漂着した若宮丸の場合。辛苦の十年の後、津太夫ら四人の水主はロシア船に乗って、日本人初の世界一周の果て故国に帰還。その四人から聴取した記録が『環海異聞』である。こうした漂流記こそが日本独自の海洋文学であり魅力的なドラマの宝庫なのだ。

とりあえず、概要だけを知りたい方は、Wikipedia – 還住(かんじゅう)を読むと良い。
漂流物も面白い。
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