号泣する準備はできていた – 江國 香織 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

『きらきらひかる』や『落下する夕方』など多数の作品で、揺れる女性の内面と恋愛模様を描いてきた江國香織の短編小説集。淡く繊細な筆致でつづられた 12編は、さらりとした読みごたえでありながらも、男と女の物悲しさを秘めたものばかりだ。第130回直木賞受賞作品。
・前進、もしくは前進のように思われるもの
・じゃこじゃこのビスケット
・熱帯夜
・煙草配りガール
・溝
・こまつま
・洋一も来られればよかったのにね
・住宅地
・どこでもない場所
・手
・号泣する準備はできていた

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書評・レビュー・感想

直木賞受賞作。
ジェットコースターのようなドライブ感や爽快感ではなく、ゆっくりとできるだけ多くのものを味わおうとする女性像が描かれている。著者は女性に人気がある作家である。
ということは、本書で出てくるような女性像を理想としているのか、はたまたそれに共感するのか。
正直いって私には本書はよくわからなかった。
心になにか残ったというものはない。なんとなく漠然とした虚脱感があるだけだ。
この女性の内面が描かれた短編集を読んで現代の女性が共感を覚えるとすれば、私には女性の内面は深い闇ではないが、つかみどころのない雲のようなものに思えてしまう。世の男性読者はどのように思っているのだろうか。非常に興味がある。
直木賞受賞作なので多くの書評がでているだろう。男性の批評を中心に読んでみたい。この漠然とした虚脱感はいったいなんなのか少し考えてみた。本書で描かれる女性の内面にはロジックではないロジックまたは、男性が理解できないロジックで覆われているような気がする。
そのため、理解できないものを理解しようとし、やはりできなかった後の虚脱感なのだとなんとなく
思ってしまう。男女間の会話はインターフェースは同じだが、通信のプロトコルが異なっているそう言っているのかもしれない。
著者は本書の中で、男はINとOUTだけ考えればいい。
男に女性のPROCESSはブラックボックスでいいのよ。
と言っているのかもしれない。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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