若者を見殺しにする国 (私を戦争に向かわせるものは何か) – 赤木 智弘 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 6 分

「『丸山眞男』をひっぱたきたい—-31歳、フリーター。希望は、戦争。」
赤木智弘の衝撃的な論考が、月刊誌「論座」2007月1月号に掲載された。
ひっそりと「声を押し殺して生きる若者」たち。その当事者のひとりが声をあげた。その声が、行き詰まる若者の姿を、私たちの目に見えるようにした功績は大きい。「論座」に掲載されたふたつの論文のほかは、すべて書き下ろしで構成。赤木智弘。32歳、フリーター。希望は、戦争。

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書評・レビュー・感想

5年ほど前に出た本であるが、「『丸山眞男』をひっぱたきたい」で有名になった赤木智弘氏の本である。いろんなところで「『丸山眞男』をひっぱたきたい」や赤木智弘氏のことが話題になるので一度、目を通しておかないとと思いつつ、ずっとそのままになってた積読本。ちょっと時間ができたので読んでみた。
著者があとがきでも書いているように、けっこう無茶なことを言っている。でもなかなか勇気をもってこういうことは言えない。(それが勇気なのかどうかわからないが)
本書では、著者が影響をうけた本として、若者殺しの時代があげられていたが、正直ピンとこなかった。
『丸山眞男』をひっぱたきたい」や「希望は戦争」というのも、例として挙げているだけで著者が本当にそうしたいとは思えない。たぶん、そうなる前になんとかしてよ!(自分以外の誰かが)ということなんだろうと思う。
バブルが崩壊した就職氷河期というのは社会が 若年層(団塊ジュニア)にバブルの責任を押し付けることで成立しているという指摘は、多くの人が指摘しているし新しくはないが、そういった弱者救済ではなく、自分の救済を全面に押し出している点が新しく、爆弾を抱えてつっこんできたような印象になるのかもしれない。本人も暴論であることは理解しているだろうし、暴論であればあるほどいいと考えたのかもしれない。
ただ、「現状のまま蔑まれて死ぬよりも、英霊として靖国なりに奉じられるほうがマシ」というのはある程度、共感を持たれるだろうと思う。人間は社会的な生き物であるのだから。
著者は、失われた権利の回復をさけび、その起点をバブル崩壊とし、バブル世代にその責任をとれと語っているが、原因はバブルではないと思う。グローバリズムであり、日本の人口ボーナス期からオーナス期への転換であると思う。そしてそれは今後より厳しくなっていくはずである。社会がグローバル化することによって単純労働の賃金は世界的な統一へと少しづつ進んでいる。
同一労働 同一賃金 – Chikiriniの日記

皆さんは、同一労働・同一賃金に賛成ですか?それとも反対?それとも、「日本国内だけの同一労働・同一賃金」に賛成?「世界レベルでの同一労働・同一賃金」には反対だけど?

というのが現状の日本。同様のことは、各地の先進国で起こっている。
そして、フランス人のエマニュエル・トッド は、「デモクラシー以後」で以下のように述べ、自由貿易から保護主義への転換と唱えている。
デモクラシー以後

自由貿易の現在の帰結は、周知の事柄であり、測定可能である。国際経済のどんな教科書にも書いてある理論に従って、不平等が増大するのである。すなわち、労働と資本の市場を統一するなら、世界規模で猖獗を極めている不平等のレベルを各国の内部に導入する結果に終わると。まさにそれゆえ、自由貿易は、先進国の内部に第三世界並みの貧困の吹き溜まりをあちこちに作り出すのであり、また第三世界の富裕者は、所得に関しては、当該国民の大部分からますます遠ざかっていくのである。
給与は、実際すでに低下しており、労働力が極めて安価な中国、インドをはじめとする諸国の相乗的圧迫の下で、今後も低下し続けるだろう。
保護主義の目標とは根本的に、共同体的優先区域の外に位置する国々からの輸入をはねつけることではなく、給与の再上昇の条件を作り出すことである。
国境が開いている限りは、給与は下がり、内需は縮小せざるを得ない。非先進国の非常に低い賃金の圧力が止まるなら、ヨーロッパの所得はまず個人所得が、次いで国家の所得も、再び上昇することができる。所得の上昇は、ヨーロッパ規模での内需の振興を伴い、内需振興は輸入の振興をもたらすのである。外需の追求、際限のない給与の縮小、それが生産コストを低下させ、その結果、内需が低下し、外需の追求につながる、等々という、現在の悪夢から抜け出すことが肝心なのだ。

その意味で、当のバブル世代も被害者であると本人たちは思っているはずである。他には、自分より立場の弱い弱者へ配慮することなく、他者に思いやりを求めているようにも読める。そういう立ち位置でいくというならそれでもいいが、たぶんそういう立ち位置の人はそういう立ち位置にふさわしい敬意しか与えられないと思う。(理屈をこねるのは学者先生の領分だから、解決策を自分に求めないでくれという立場)
そういう立ち位置に立つ人に対する回答は内田先生(団塊世代)がしてくれている。つまるところ、人生は自己責任。乙。ということみたい。
そんなことを訊かれても – 内田樹の研究室

「私はどうしたらいいんですか?」という問いを口にできるということは、「私が直面している状況はリスクであって、デインジャーではない」という状況判断を下したということである。それは言い換えれば「誰かが答えを知っている」「答えを知っている人間はそれを開示すべきだ」「オレにも教えろ」という一連の推論をなしたということである。
その危機感のなさが私たちの時代の若い方々の危機の本質的原因だと私は申し上げているのである。
率直に言うが、日本社会はすでに「前代未聞・空前絶後」の社会状況に入っている。人口の不可逆的な減少、それによる経済活動そのものの縮小ということを経験したことのあるものは先進国には存在しない。ということは「こういうときはどうすればいいか、私は知っている」と言うやつがいたら(経済学者でも国際政治学者でも)そいつは「嘘つき」だということである。
日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
健闘を祈る。

自分で動かない限り、自動的に社会が自分の失われた権利を回復してくれることなどありえないという当たり前すぎる結論。
まあ結局、だれもこの難しい状況の中で解決策を提出できずに、それぞれの立場でポジショントークをしており、ただ時間だけが流れていくというのが現状だということだろう。

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