デモクラシー以後 – エマニュエル トッド (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 7 分

デモクラシー以後 〔協調的「保護主義」の提唱〕
エマニュエル トッド
藤原書店

日本の将来への指針!世界経済と民主主義を阻害する「自由貿易」というドグマ。トックヴィルが見誤った民主主義の動因は識字化にあったが、今日、高等教育の普及がむしろ階層化を生み、「自由貿易」という支配層のドグマが、各国内の格差と内需縮小をもたらしている。若者・失業者・私企業労働者こそ、真っ先の犠牲者である。大恐慌の中で健全な保護主義を唱えた、ケインズの名論文「国家的自給」(1933年)収録。

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書評・レビュー・感想

本書の多くの部分は、著者がフランス人であるためフランスに関する事柄が対象となっている。しかしながら、フランスだけに当てはまるものではなく、世界的な趨勢を考える上でとても示唆に富んでいると思う。
著者は、民主主義は、識字化によって興隆し、高等教育によって衰退していくと予言している。民主主義の衰退は、中等・高等教育による社会の教育上の再階層化と結びついているという。日本は、若者の数が減少している時期に大学入学者数が増加しているというアメリカやフランスとは違った状態であると指摘しつつも、民主主義の衰退現象についてはヨーロッパと日本はひとくくりに考えてよいとしている。
民主主義の衰退現象の基本的な要素の1つとしてイデオロギーの衰退をあげている。イデオロギーは、現実を覆い隠す集団信仰であり、神秘的であり、偽りのシステムであるが、現実に働きかけることが可能なものであるとしている。そのイデオロギーが現在なくなってしまいつつあると指摘し、最後のイデオロギーが、自由貿易の信仰だと述べている。
本書は自由貿易に一定の歯止めが必要だと説く書であるが、著者は、自由貿易の信仰とは、世界に働きかけることをせず、何もしないで、事態が推移するに任せたいという欲求だと述べている。
個人的にはそういう面はたしかにあると考えていたが、うまく言葉にできなかった。それをトッドが明確に表現してくれたので、非常に収まりのいい文章だと感じた。
読み始める当初は、自由貿易をやめて、保護主義に走ろうという話かなと思っていたが、簡単にそういうわけではなかった。著者が本書でいいたい結論は以下のものである。

いつの日かわれわれは、唯一最適な態度とは、自由貿易から保護主義へ、保護主義から自由貿易へと際限なく移行を繰り返すのが適切な態度だと気付くだろう。経済に活力を与えるために国を開き、次いで活力を与えるために国を閉ざさなければならない、そうした時期があるのだと。

そして、どれくらいの期間について保護主義を想定するかというと、約1世代だと述べている。著者がいう保護主義とは、守りの保護主義ではなく、攻めの保護主義とのこと。景気刺激の保護主義(協調の保護主義)と述べている。この違いについて、読み方が甘いのか、一読しただけではよくわからなかった。
この保護主義の期間に、アメリカは貿易収支のバランスの適正化に慣れ、中国は内需の拡大に慣れ、それが終われば、また自由貿易へ切り替えるのがよいと述べている。
自由貿易は協調的になりえず、万人の万人に対する闘争を組織することしかできないため、国際機構(WTOやG20など)によって保護主義をゆっくりと施行していくのがいいと説いている。これは、どの国にとっても、力関係の差はあっても利益があるとのこと。

経済史の中には、地域により、国によって、通商の解放が有利であるような局面も存在し得る。しかし保護が必要な局面もまた存在するのである。自由貿易の現在の帰結は、周知の事柄であり、測定可能である。国際経済のどんな教科書にも書いてある理論に従って、不平等が増大するのである。すなわち、労働と資本の市場を統一するなら、世界規模で猖獗を極めている不平等のレベルを各国の内部に導入する結果に終わると。まさにそれゆえ、自由貿易は、先進国の内部に第三世界並みの貧困の吹き溜まりをあちこちに作り出すのであり、また第三世界の富裕者は、所得に関しては、当該国民の大部分からますます遠ざかっていくのである。

Chikirinの日記 – 比較優位
Chikirinの日記 – 同一労働 同一賃金
などを読んで考えると、先進国が発展途上国を搾取する時代が終わり、発展途上国が格差をキャッチアップしてくる中で、「先進国生まれ」という既得権益を守るための方策の1つとして、「保護主義」に好意を示す先進国の一般庶民が増えているといえるのではないかと思う。
著者は、以下のようにフランスの政治的指導者が立ち向かわなければならない問題の大きさを述べているが、これはまったくそのまま日本にもあてはまるだろう。

社会生活のもっとも意識的な領域には経済問題が存在するが、それには出口がない。思想と行政のエリートたちは、自由貿易を1つの必要ないし宿命とさえ考えているが、国民は、これを、雇用をすりつぶし、給与を押しつぶし、社会全体を退行と収縮へと引きずり込む仕掛けだと感じている。民主主義にとっての真の悲劇は、エリート層と大衆の間に存するのではなく、むしろ大衆の明晰さとエリート層の盲目ぶりとの間に存するのだ。給与は、実際すでに低下しており、労働力が極めて安価な中国、インドをはじめとする諸国の相乗的圧迫の下で、今後も低下し続けるだろう。

著者は、今後について3つのシナリオをあげている。1つ目が「民族的共和国」であり、2つ目が「普通選挙の廃止」であり、この2つのシナリオは民主制の観点から明らかな害悪をもたらすと指摘している。3つ目が本書の結論である「保護主義」である。このシナリオが他の2つと違って、民主主義の最後のチャンスだと述べている。
同じ保護主義を訴えるにしても、既得権益を守るためではなく、民主主義が生き残るためにというロジックはさすが国民の平等性を基盤とするフランス人という感じがした。著者がいいたいことが最終章にまとめられているので引用する。

保護主義の目標とは根本的に、共同体的優先区域の外に位置する国々からの輸入をはねつけることではなく、給与の再上昇の条件を作り出すことである。
国境が開いている限りは、給与は下がり、内需は縮小せざるを得ない。非先進国の非常に低い賃金の圧力が止まるなら、ヨーロッパの所得はまず個人所得が、次いで国家の所得も、再び上昇することができる。所得の上昇は、ヨーロッパ規模での内需の振興を伴い、内需振興は輸入の振興をもたらすのである。外需の追求、際限のない給与の縮小、それが生産コストを低下させ、その結果、内需が低下し、外需の追求につながる、等々という、現在の悪夢から抜け出すことが肝心なのだ。
イギリスとロシアの間のヨーロッパ大陸の規模で創始されるヨーロッパ保護主義は、傘下各国の社会が、給与の圧縮、需要不足、際限のない不平等の拡大から長期的に逃れることを可能にする。民主主義を蝕んでいた社会の窒息感は姿を消すだろう。エリートへの告発は意味を失うだろう。普通選挙に対する圧迫は、給与に対する圧迫とともに止むだろう。経済的空間と政治的空間は、再び合致するだろう。
こうして作り出される政治形態は、新しい種類のものであって、そのためには複雑な制度、機構の改変を行わなければならないだろう。しkしそれが実現した場合、唯一その場合にのみ、こう断言することができる。デモクラシーの後も、やはりデモクラシーであるだろう、と。

本書を通して理解が難しいと感じたのは、著者がいうように保護主義を採用すれば、「まず個人所得が、次いで国家の所得も、再び上昇することができる。」というロジックがわからないからである。個人的には、再び上昇するのではなく、自由貿易のままよりは、給与の圧縮レベルや需要不足レベルが緩やかになるだけだと思う。結局は縮小均衡すると。
このあたりの保護主義採用後の予想に対する相違があるのでなかなか協調的な保護主義というのがわかりにくかった。時間がある時にもう1回読んでみたいと思う。
日本もTPPの問題を含めて「国民経済」について真剣にかんがえなければならない時が来ているのだろうと思う。

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