宗春行状記 – 海音寺 潮五郎 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

宗春行状記 (時代小説文庫)
海音寺 潮五郎
富士見書房

時は江戸、幕府も安定期に入った享保年間、8代将軍吉宗は綱紀を粛清し倹約政治をすすめた。この吉宗の政策に挑戦するかのように城下で芝居見物や遊郭で遊ぶ尾張家当主・徳川宗春の個性的な風流大名ぶりを描いた傑作歴史長篇。

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書評・レビュー・感想

以前、読んだ「日本名城伝」にて名古屋城に関する話が出てきて、宗春について以下のように書いていた。

名古屋城については、徳川宗春の件がでてきて、徳川宗春個人を追った小説を読んでみたいと思わされた。あとは、会津若松城、五稜郭編にある幕末期の佐幕派側の負け戦についてももっと読んでみたいと思った。

ということで、徳川宗春個人を追った小説である本書を読んでみた。
Wikipedia – 徳川 宗春(とくがわ むねはる)

徳川 宗春(とくがわ むねはる)は、江戸時代の大名。尾張藩の支藩である陸奥梁川藩第4代藩主、後に尾張藩第7代藩主となる。
宗春は藩主に就任すると、自身の著書『温知政要』を藩士に配布。その中で「行き過ぎた倹約はかえって庶民を苦しめる結果になる」、「規制を増やしても違反者を増やすのみ」などの主張を掲げ、名古屋城下に芝居小屋や遊郭を誘致するなど開放政策を採る。
これらの政策には、徳川御三家筆頭でありながら兄・継友が将軍職を紀州徳川家の吉宗に奪われた事や、質素倹約を基本方針とする吉宗の享保の改革による緊縮政策が経済の停滞を生んでいた事への反発があると言われている。
なお吉宗の倹約経済政策に自由経済政策理論をもって立ち向かったのは、江戸時代の藩主では宗春だけである。

徳川宗春といえば、八代将軍吉宗の政策に立ち向かった徳川御三家筆頭大名というイメージであるが、その具体的な政策や生活ぶりなどが小説となっていて面白く読めた。
徳川御三家筆頭でも上意の名の下に簡単に失脚させられるもんだなあと読んでいて感じた。江戸も中期に入ると、大名個人よりも大名家に仕えている人が多くなって、藩の重臣が暗躍するようになるんだなあと。

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