亀井琉球守 – 岩井 三四二 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

亀井琉球守 (角川文庫)
岩井 三四二
角川学芸出版

「親の仇が、いまや味方か―」尽きぬ戦のなか、恩賞をめぐる一喜一憂も束の間、ひとたび気働きを怠れば、そこには我が身と一族郎党の死が待っている。毛利に滅ぼされた尼子党にあって、秀吉・家康という天下人の下を生き延び、流浪の身から一代で因幡国鹿野の大名にまで出世した亀井茲矩。秀吉に「琉球」を願い出た男が、戦塵の果てに辿り着いたのは―。家族と家臣を守り抜き、乱世に夢を追い続けた男の波瀾の生涯を描く。

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書評・レビュー・感想

主人公の亀井琉球守こと、亀井茲矩は、なぜ律令制度に存在しない琉球守という官職を名乗ることになったのかは、本書を読んでいただきたい。
ちなみに、国民新党の亀井久興、亀井亜紀子親子は、亀井茲矩の子孫にあたる。
Wikipedia – 亀井 茲矩

亀井 茲矩(かめい これのり)は、安土桃山時代から江戸時代の武将・大名。因幡国鹿野藩初代藩主。
中国地方の戦国大名・尼子氏の家臣・湯永綱の長男。母は多胡辰敬の娘。旧姓は湯。通称は新十郎(槍術の達人であり「槍の新十郎」の異名を持つ)。初め湯国綱と名乗る。山中幸盛の妻の妹・時子(亀井秀綱の二女)を娶り、亀井氏の名跡を継ぐ。

戦国時代の中国地方は、大内、尼子、毛利などがその領土を争っていたが、最終的には毛利がその覇者となり、大内、尼子は滅びる。そんな滅びた尼子家を再興しようと、山陰の麒麟児こと、山中幸盛(山中鹿介)が尼子遺臣団を率いていく。月に七難八苦を祈った話は有名である。
3度の尼子家再興の動きをおこすが、最後には毛利に殺された山中幸盛(山中鹿介)。その義理の兄弟である亀井茲矩が、山中幸盛死後、尼子遺臣団の一部を家臣団として再編成していく。
尼子家再興、出雲奪還はならなかったが、鹿野藩(3万8,000石)の初代藩主となっていく模様が本書では書かれている。
関ヶ原の戦いの時には、1万3,500石の大名でしかなかったため戦局に与えた影響は小さく、そのため世間的にはあまり有名とはいえない戦国武将であるが、そうであるがゆえに初めて知ったことも多く、楽しんで読むことができた。
過去に読んだ、同時代人の伝記系。
加藤清正
細川忠興
黒田長政
宇喜多秀家
島津義弘
佐竹義重
滝川一益
大谷刑部
福島正則
蒲生氏郷

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