人間集団における人望の研究 – 山本 七平 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 7 分

「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ、兎角に人の世は住みにくい」
これは、夏目漱石の「草枕」の冒頭である。あるフランス人から「智に働けば角が立つ」の意味を聞かれたことがある要するに、ものごとを理知的に処理するとトラブルが起こるという意味だと説明すると、フランス人はびっくりして、それは逆ではないのか?ものごとを理知的に処理しないからトラブルが起こるのではないか?というのです。いやそうではない。私の訳は正しいと言い張ったのですが、考えてみれば、彼がそう思うのは当然ですね。
そして、そのとき私はなるほどなあこれはきわめて日本的な表現なんだなあと痛感したわけです。それから「意地を通せば窮屈だ」は、自分の意志を貫こうとすると非常に不自由な思いをすると訳して教えた。すると、フランス人はまたもや冗談じゃない。それはあべこべだとびっくりして言うのです。「どうもあなたのいうことはわからない。私たちは自分の意志がとおったときに、それを自由と称している。あなたの国では、自分の意志がとおると不自由なのか?」彼の言うことは、まさに正論であり、そのようなことがなぜ日本でおこるのか考えこんでしまったのです。
機能集団におけるリーダー(企業も同じ)の能力発揮のために戦時中は以下のようなマニュアルがあった。順序を記すと、
  (1)状況判断
  (2)決断
  (3)処置
  であり、(3)処置の順序が
   1.目標の設定、明示
   2.目標達成の方法の確立とその徹底
   3.その方法に基づく組織の編成
   4.行動開始
となる。もちろん机上でもできる。
だが、これを現実に行動に移すには部下の掌握が不可欠であり、その基となる人望がなければ、机上の空論に終わる。しかし、一方、これらのことが的確に行えないならば、やはり人望を獲得することはできない。これは車の両輪のようなものである。
(1)状況判断は、大は軍司令官や社長、小は分隊長や係長まで起こりうることである。この状況判断の前にもちろん情報収集がある。通常、無情報ということはありえない。誤りを起こすのは、収集された情報に基づく状況判断の誤りである。
朝鮮戦争のとき、マッカーサーは、中国共産党軍の移動という情報を収集しながら、アメリカ軍の牽制もしくは防備を固めるためとの状況判断をくだした。典型的な状況判断の誤りである。状況判断は、慎重の上にさらに慎重を期さねばならない。その誤りが見つかるのは、(3)処置がすべておわって、行動を起こした後だからである。そのため、多大の犠牲を払ったあらゆる努力が無駄になる。これを2、3回繰り返すと、部下はやる気をなくし、人望など消し飛ぶ。
しかし、人間は過ちをおかす。では、その場合、どうすべきか。明確に状況判断の誤りを部下につげ、決断変更を表明し、新しい処置にもとづく指示を徹底させねばならない。マッカーサーはこれを的確に行い、新しい状況を全軍につげ、すぐさま、撤退を命じ、38度線の南に再び展開させた。
これでなんとか建て直しはできたが、38度線から平壌への進撃はまったくの無駄骨折り、無意味な犠牲であったとう事実は取り返しがつかない。したがって決断変更を繰り返されると、部下は動かなくなる。決断変更で、努力が無駄になるなどと思えば、もうやる気はなくなる。このときせめて、その理由を明示してくれれば、まだ納得がいく。
いわば、新しい状況の発生に基づき、これまでと違った状況判断をせざるをえず、そこで決断変更が行われたとわかれば、まだいいのだが、日本軍ではそういった説明は一切なかった。一方、マッカーサーの場合は、新しい状況、新しい局面を明確に部下に示している。人は納得して行動するのと、納得しないで行動するのでは、積極性がまったく変わってくるのである。
人間は確かに誤るものだが、これを極力さけるためには、まず何をなすべきか?これは状況判断から決断にいたるまでの心構えである。この心構えとして「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う」の中が要点である。
状況判断の誤りを重ねて、絶えず決断変更し、そのたびに部下に無駄な労力を強いる。これだけで人望喪失は当然だが、それが不可抗力の客観状況の変化のためならまだ納得できる。だが、これがリーダーの喜怒哀楽で中を失ったのが原因だと思えば、もうだれもついてこない。
(3)処置へ進もう。
実はこの処置がが決断どおりに行えるかどうかが一番問題なのである。いわば、「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う」の状態で下した状況判断は、多くの場合、大局的には誤っていない。日華事変が起こったとき、近衛内閣は「不拡大方針」を声明した。この状況判断、決断には誤りはない。
だが、彼には身近な人には人望がなかった。なぜか?それは決断を実現するための処置ができないからである。そのため「不拡大方針」を宣言しながら事変がずるずる拡大し、彼のことを誰も信用しなくなった。戦後に彼自身が記した本を読むと、主観的には努力している。しかし、彼は処置をしていなかった。処置をせずして、ただ軍部が言うことを聞かないという泣き言を並べているだけであった。
だが、そんなことは自明のこと、世の中が自分の思い通りに動いたら大変である。彼は処置ができないという点ではお公家さんであって、自分が、決断すれば、あとは「よき様、取り計らえ」ですべての処置が自動的に、進行すると信じている。これでは機能集団のリーダーとしては失格である。いうまでもなく、処置には作戦がいる。そして作戦とは、相手の最弱点、もしくは死角をつくことである。
近衛の弱点は、統帥権にタッチできず、不拡大方針を宣言しても、軍の作戦、行動には一切干渉できないという点である。この言い訳は戦後にも通用し、そこで軍の暴走をだれも止められなかったかのように言われる。
ところが、軍の指揮権に政治家がタッチできないのは、どの国でも当たり前のことである。では、本当に軍は暴走できるのか?それはできない。なぜなら議会が予算案の中で戦費を可決しないかぎり、予算がないから、戦争ができない状態になるからである。つまり、予算、これが軍の弱点である。
確かに、軍が暴走して小事件を起こすことはできる。だが、軍団や師団を動かす戦争となれば、戦費の支出がなければ不可能である。つまり不拡大という決断をした次の処置において、不拡大という目標に到達する方法を明示しなければならない。それは、「事変を拡大するような予算は編成せず」であり、ここではじめて処置の第一歩を踏み出すわけである。
もちろん軍は反対であろう。それならば「軍は不拡大方針に賛成なのか反対なのか、国民に対してその態度を公明正大に示せ」と要求すればよい。これに対して軍は「拡大方針である」という声明を発することは当時の軍にもできない。その処置ができないと、ああ決断したはずなのに、何の処置もせず、それどころかその逆を平気ですんずん進行させている」では人望を失って当然である。
また、方法論の明示があってはじめてそれに対応する組織替えがありうるわけで、それがない機構いじりは意味がない。軍司令官であれ分隊長であれ、また社長であれ係長であれ、能力を発揮するに必要な原則は別に変わらないのである。そしてその能力なきものと見られれば、やはり人望を失うのである。

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書評・レビュー・感想

あいかわらず、深い。
山本七平氏は、尊敬する著者の1人である。前回読んだ「人望の研究」は日本の歴史上の人物に焦点をあてて人望という不可解なものにアプローチをしていたが、今回は、昭和から戦中、戦後の著者が体験した時代のリーダーに焦点をあてて人望を考察している。
人望を考察するという前提であるが、私には機能集団におけるリーダーが行うべきことの指導書のような感じがした。現在、どこかの集団において指導的立場にいる人なら必読である。内容が深く1回で理解し得ないのも山本氏の著書の特徴であるが、あいかわらず。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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