女はどんな男を認めるのか – 勢古 浩爾 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

ひとを好きになることは簡単なことだ。なんの努力も修練も資格もいらない。大切なことは、好きになったあと、どうするかということだ。好きになるにはなんの努力も資格もいらないが、好きになったあとにももろにそれが試されることになる。どうすれば好きのままでいられるか。失恋に終わったとき、どう立ち直るか。他に好きな人ができたときどうするのか。どんな場合にも、正解はない。
勉強や仕事には当然することがある。いやになるほどある。スポーツや趣味にも個々具体的にすることはある。だが、愛にはすることがない。愛そのものは目にも見えない。深さや広さを測ることもできない。触れることもできない。だから、セックスが愛の唯一の証とみなされたりもするのだ。愛にできることは、基本的に逢って、話をすることだけである。

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書評・レビュー・感想

著者は、本書のはじめから最後まで通して、愛とはよくわからん。という。非常に正直な人だと思う。愛はよくわからんが、いくつかの観点で分析できることもあるという。そして、少女コミックや女性誌の恋愛特集を読み、時代別にまとめ分析しようと試みる。で結局わからないという結論に・・・
本書の題名でもある「女はどんな男を認めるのか」について、著者は、そんなものわからん。という。非常に正直な人だが、じゃあそんな題名をつけるなとも思う。しかしながら、本全体としてはたるーい印象をうけたが、局所的な一文や言葉には、おや?と思わされるところもあった。
「愛にはすることがない」などなかなかピリっとしてよかった。お勧めするかと言われると微妙だが、まあ時間が余っていればいいんじゃないかとお勧めしないということはしないという程度。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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