蒲生氏郷 – 佐竹 申伍 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

天才・織田信長をして、その俊敏にして剛胆な器量に舌を巻かせ、ひそかに「我が後継者」とまで思い定めさせた麒麟児・蒲生氏郷。江州日野六万石の小領主の伜から身を興し、信長と秀吉というふたりの天下人に仕え、遂には会津若松城主として92万石の大名に成長しながら、天下への野望は早世によって潰えた。数々の戦功とともに、人心掌握の術にも長けた名将の、波瀾に満ちた40年の生涯を活写する長編歴史小説。

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書評・レビュー・感想

Wikipedia – 蒲生氏郷

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(ますひで)、または教秀(のりひで)。またキリシタン大名でもあり、洗礼名はレオン(或いはレオ)。近江蒲生郡日野に六角氏の重臣蒲生賢秀の嫡男として生まれる。幼名は鶴千代と名付けられた。

近江日野6万石の城主の嫡男に生まれ、主家の六角氏が信長によって滅ぼされたため、父・賢秀が信長に臣従し、人質として岐阜に送られる。そこで信長の目にとまり、娘の冬姫と結婚することになり、織田一門となるが・・・本能寺の変が起こる。
武功により、近江日野6万石から、伊勢松ヶ島12万石、陸奥会津42万石、陸奥会津92万石と大大名へとのし上がっていくが、文禄4年(1595年)に40の若さで死去。
能力や知行地に比べ、知名度が低いが、若くしてなくなったのが原因かもしれない。存命であれば、関ヶ原の戦いの行方などに影響を与えたであろう人物でもあり、歴史にIFはないが、想像すると楽しい。
秀吉は伊達、徳川の押さえとして陸奥会津へ転封させているが、これほど若くしてなくなるとは思っていなかったのだろう。茶人としても有名であるが、本書では数寄モノとしての氏郷はほとんど出てこなかった。
過去に読んだ、同時代人の伝記系。
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