最後の将軍 – 司馬 遼太郎 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

水戸といえば、徳川家の旗本は紀州・尾張に対するような親しみを持たない。
紀州・尾張家については主筋という実感があるが、水戸家に対してはだれしもがかるい敵意と根強い疎外感を持っている。ひとつには、水戸家は家康以後の血が薄いということもあり、ひとつには、水戸家が、第二代の黄門光圀以来、尊皇思想のえんそうになっているということもある。
水戸家では歴代、多大な藩費をつかって大日本史を編纂しつづけている。この歴史観は徳川幕府への痛烈な批判であるといっていい。
「代々、ご謀反のお家筋である」
と、徳川旗本は漠然と水戸をそう見ている。
幕府知識人の間でささやかれているところでは、水戸家に水戸黄門以来の秘密の言い伝えがあるという。「もし江戸の徳川家と京の朝廷のあいだに弓矢のことがあれば、いさぎよく弓矢を捨て、京を奉ぜよ」ということであった。この秘伝は単にうわさだけでなく事実であることが、後年、慶喜の口からでている。
徳川の御三家のうち、水戸はもっとも石高が少なく、官位も他の二家が大納言であるのに対して、中納言でしかない。それに将軍家に嗣子がない場合、紀州・尾張から入ることがあっても水戸から入ることはなかった。いわば、一格下げて差別されている。

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書評・レビュー・感想

霊山歴史館へ行って慶喜の実物大写真を見た。
身長約150cmと非常に小さい。
現在でいえば吉本新喜劇の池乃めだかレベルである。
歴史は勝者側から語られることがほとんどであるので幕府側からの視点で書かれたものを読むことは少ない。
その点で目新しい内容が多かった。
なぜ徳川幕府が弱体化していたのかについては、官軍側から見ると軍事的な感想になってしまうが、幕府側からみると組織の内面的な感想になるといった違いがある。
ぼろぼろの組織を立て直すリーダーとして祭り上げられるが、戦力になる部下は少なく、全体的にはマイナスな組織を改革する難しさが細かく描かれている。
慶喜は秀才で、なんでも器用にこなしたようだが、それだけでは組織改革は難しいということかもしれない。松平春嶽は慶喜のことを、
「つまるところ、あのひとには百の才智があって、ただ一つの胆力もない。胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない。」と言った。
胆力=「たいていの出来事におどろいたり恐れたりしないで、物事をやってのける精神力」と国語辞典にはある。しかし、胆力がなければ大政奉還もできなかっただろうと思うと、結局のところ人の評価は難しいというところに落ち着くのかもしれない。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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