「常識」の落とし穴 – 山本 七平 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

「常識」的日本人からすれば、いかにも「非常識」な発想―しかし、そうした発想こそが事実をつきとめ、真実を明らかにすることができる。“指導力なき指導者の時代”をいちはやく予言した著者が、平成の日本人に遺した「脱・常識のすすめ」の決定版。次々に常識をひっくり辺す“山本七平式・世界の読み方”59 篇。

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書評・レビュー・感想

人間は自らの内に関心を抱いていることしか見えない。
軍人の発想は、結局目標をたて、それに到達する作戦計画を練り上げ、その計画のためにすべてを動員し、目標を達成できれば成功と思い、次にまた目標を立ててそれに到達する作戦計画を立て、それに必要なすべてを動員するという形で進められる。
軍人はそれ以外の発想はできず、それによって戦果を拡大できれば、成功と考える。しかし、韓国にあるようにここにきて何となく気づくのは、経済とは、そういうものではないらしいということだろう。
軍隊では兵隊に、自由に起業家精神を発揮して、自らの責任で自ら運営し自ら設定した目標に自ら到達せよ。とはいえません。これは軍人の考え方とは基本的に反することですから。
人間はそれほど賢明な動物ではないから、何事も本当に体験してみない限り理解はしない。しかし、その体験が共通の認識になるとき、はじめて、「まことに戦争とは何も得ることのない悲劇的愚考だ」ということが、当然の常識となっていくのであろう。
わたしは、人間とはまことに遅々ではあるが、学びかつ進歩していくものだと思っている。確かに戦争は、過去において、さまざまな政治問題を解決する手段であっただろう。だがそれはもはや有効な手段ではありえなくなった。では、それに変わってどういう手段があるのかと言われれば、残念ながら、人類はまだそれを発見していない。
議論と実行、この2つは原則が違い、全く逆にしないと成果があがらない。
「事を議する者は、身の事は外に在りて、宜しく利害の情をつくすべし」
確かに議論においては自己とは無関係の位置に対象を置き、それ自体の得失を究明しきるまで究明しなければならない。時間がきたからといって打ち切るでは、何の結論もでず、成果もあがらないであろう。
一方、
「事に任ずる者は、身の事の中に在りて、まさに利害の慮を忘れるべし」
事を行う原則は、当事者だから、自分の利害と恣意が出てきては事は、整々と運ばない。そこでは、あくまでも定められたスケジュール通りに事を運んでいかなければ成果はでないであろう。
あいからわず、著者の本はいい。また繰り返し読むことになる。まだ1回目では理解できていない部分も多々あるので2回目以降も楽しみ。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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