血液型性格判断のウソ・ホント – 草野 直樹 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 7 分

「血液型性格判断」における矛盾点や虚構を指摘し、現在の「占いブーム」に警鐘を鳴らすことで、「血液型」をはじめとするオカルト・非合理思考を容認する学問のあり方と社会システムの問題を明らかにする。

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書評・レビュー・感想

・血液型とは何か?

血液は55%の液体部分と45%の細胞部分によって構成されています。液体部分は水分のほか、タンパク質、アルブミン、グロブリン、血液凝固因子、ブドウ糖、脂質、電解質などで構成されるもので、一方の細胞部分は、赤血球、白血球、血小板といった血球で構成されています。
A・O・B・ABの4通りに分けられる血液型は、赤血球表面の抗原の違いによる分類です。A・O・B・ABの分類は、今からおよそ100年前の1901年、オーストラリアのランドシュタイナーという人によって始められました。ランドシュタイナーは、人間の血液を血球と血清に分け、それぞれ別の人から採ったものと混ぜ合わせると、血球が凝集したりしなかったりする現象を発見しました。それが赤血球のある性質の違いであることを発見し、4通りの分類につながったのです。
血液の中の赤血球は、A・B・Hというの3つのタイプの基本的な抗原で構成されています。Hというのは、AやBのそのまた基本となるもので、そのAやBやHの組合わせの如何で4通りに分かれたものが、A・O・B・ABの血液型なのです。そのうち、AとHをもつものはA型、BとHをもつものをB型、AとBとHをもつものはAB型、HだけもちAやBをもたないものがO型と呼ばれます。日本人の場合、出現頻度はA型が約4割、O型が3割、B型が2割、AB型が1割といわれています。

・血液型性格判断とは何か?

血液型を人間の峻別に使ったのは、ドイツのヒルシュフェルトという医師といわれています。第一次世界大戦終結の年に兵士の血液型を調査。白人にA型が多く、中近東やアジア、アフリカに行くにしたがってB型が多い調査結果を知り、白人が優秀であることを根拠としてA型が優秀であるというこじつけの峻別をしました。
日本ではその後、血液型と性格についてのブームが起りました。そこにおける血液型性格判断の特徴は、特定の有名人の結婚や離婚などをあげて、その一例、もしくは数例からストーリーを跡付けている事です。たとえば、A型の友人が嫁姑の問題で離婚したとしましょう。それに対して、その友人の個別的なケースを血液型のせいにされ、こんな解説をされたとしましょう。
「A型の亭主はB型の女房に対して心の結びつきを作るのが苦手で、また姑はAB型特有の内気な態度が家族の結びつきを希薄にした」
その家の事情や家族の性格、離婚までのおおよその事情さえしっていればあとはそこに「それは×型特有の」という決り文句をつけてストーリー化すれば、だれでもこの程度の解説はつくれます。ですからんもちろん、こんなものは科学的ではないのですが、離婚という事実やおりおりの特徴的な現象をまぶしてストーリーを作ると、聞くほうは当たっていると感じる場合もでてくるかもしれません。ですから、冷静に考えれば「当たっている」という判断は、血液型に対する分析ではなく、そのストーリーに対してであることがわかるでしょう。これならあたっていると思えるのも当然のことなのです。
血液型性格判断に信奉的、感傷的な人々は、この点の見定めが曖昧なのではないでしょうか。血液型性格判断が本当に科学的かどうかというのは、主観として当たっていると感じるかどうかではなく、その判定方法が科学的手法をきちんと採用しているかどうか、ということをみておく必要があるでしょう。

・当たっているから信じられるのか?

「でも、いくらそんなことをいっても実際に血液型ごとの性格はあたっているんだから私は信じるよ。」という人もいます。
このような信奉者や感傷的な人々というのは、社会学でいう「存在証明」をその対象に賭けている様に思う事があります。現象を十分説明していると思われる総論だけでは引き下がらないのです。そこで、本当に当たっているのか?を宣伝者たちの各著書における血液型タイプで記された性格傾向について調べてみました。
並べてみると、奇妙な点がいくつもあります。まず第一に、著者によって全く見立てが違う。さらに、違う血液型に同一の傾向がでてくる場合すらあります。研究者が違えばどの血液型がどのタイプかという説も違って当然。という反論は、その限りではありうるでしょう。
しかし、血液型性格判断信奉者は、「○○説に限って信じる」といっているわけではありません。誰の説だろうが、とにかく当てはまっていれば、当たったあとなるのです。各宣伝者は、もし科学を少しでも意識するなら、そういった曖昧さに対して責任をもって自説からきちんと「〜だから私の説が真である」などと回答すべきですが、それは全く行われていません。こうした曖昧さにこそ血液型性格判断を信じてしまう仕組みがあります。
そこにはトリックがあります。このトリックは、F(フリーサイズ)、B(ラベリング効果)、I(インプリンティング=刷り込み)とそれぞれの一字づつをとってFBI効果といいます。「あなたは正直者で損をしたことがある」なんていわれたら、誰でもそうかなあと思ってしまう。「努力家でしょう」と聞かれたら、そうだなと考えるわけです。人間、誰でも努力もするし両親もありますから・・・
つまり、どうにでも解釈できるようなフリーサイズ的な所見で、それらのいくつか重ねて一定のラベルづけをしてしまう。どうとでもとれる曖昧なものをいくつも束ねれば、ひとつぐらいあたっていると思える所見も出てきますから・・・そして何となくでもあたっていると思う気持ち(インプリンティング)こそがいよいよ血液型性格判断の信憑性に拍車をかける。これが信じてしまう仕組みです。

以前から占いや血液型性格判断には疑問をもっていたが、それに対しての答えが本書にあった。本はamazonで購入することがよくあるが、血液型で検索した場合、本書のような血液型性格判断の批判書は3%ほどである。それ以外の97%が信奉書であるのだから驚く。もちろん医学的な見地からの血液関連本はのぞく。
よく血液型で人を判断しようという人がいるが私はそれに対して以前から懐疑的であった。なぜなら、A型は几帳面で、B型わがままといったものが全般に当てはまるはずもないと思っていたからだ。A型でわがままな人もいれば、B型で几帳面な人もいる。血液型で性格が決まってしまうなら4種類の人間しかいないことになるが、もちろんそんなことはなく、人は一人一人違う。私はこれは易きに流れる人間の心理ではないかと以前から考えていた。よく善か悪か、するべきかするべきでないかなどという二元論を語る人がたまにいるが、それはその2つに入らない部分を捨象しているという問題がある。
つまり善か悪か以外の部分が切り捨てられているし、それに対しての評価がないということである。これは細かい複雑で両立の可能性をもった曖昧な要素を思考から切断した一種の思考停止であると思う。曖昧さに耐える思考の強さがないために簡単な二元論に逃げてしまう。これが血液型性格判断にもあると思う。
血液型の場合はいうなれば四元論か。(笑)
大前提として、人のことはなんでもわかる。わからないことがあるのは、わかろうとしていない証拠だという論理があるが、私は、人のことなどほとんどわからないと思っている。だからこそほんの少しでも人のことがわかると人間はうれしくなるのだろうと思う。血液型性格判断は、血液型ですべてわかるという前者の大前提が根底にあるのだろう。
しかし、宗教でも科学でも血液型でもすべての森羅万象を説明できるような方法などない。あると思っているならその方法を客観的に見れていないだけである。しかし人間がそういったものを求めることは事実であり、それは否定しないし、それがあるから人間は向上していけるのだろうとも思う。ただ向上するためには易きに流れては長期的にみるとだめだと思う。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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