ビコーズ – 佐藤 正午 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

「もしわたしたちが、いつかおとなになることだけのためにうまれてきたのなら」海岸道路を走る車の中で映子は19歳のぼくにささやいた。その情熱をこの先ずっと、20歳をすぎても30歳をすぎても求めつづける勇気がぼくにあるだろうか。―10年前に起こした心中事件は何だったのか?気鋭の著者が放つ長編恋愛小説。

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書評・レビュー・感想

「あんたはいつも片目を閉じているからだめなのよ」
「片目を閉じているから、世の中の半分しかまともに見えてないんだよ」
から物語は始まる。
ある新人小説家。
小説としての物語が完成した姿は漠然としたイメージとして小説家の頭の中にはあるのだが、その漠然をくっきりさせるために原稿用紙を一字一字埋めていくことは簡単ではないらしい。
ほんの数枚を埋めていくうちに、はやくも最初のイメージとの食い違いが現れ、食い違いのほうが言葉として定着しているだけに漠然のほうを変形しにかかる。
食い違いを破り捨てるか、それとも漠然をうまく変形できればよいのだがどちらの処理にも行き詰まって、先を書き悩む。
小説家にはよくあることらしい。
誰かの物語を書こうとする。
実際の人物の思い出を書くのではない。
実際はそうでなかったことに対する批判と実際はそうあってほしかったという願望とからある人物に関する伝記ができあがるらしい。
ある地方在住の小説家が主人公になっている。
その一人称の「ぼく」が、登場人物たちの物語を探していくというコンセプトそしてむろん、隅から隅まで恋愛小説であり、サスペンスである。
佐藤正午の作品はいつも等身大だ。
ありふれていると称してしまうのは恥ずかしい限りだが、物語の発見のうれしさにあふれている。主人公の「ぼく」は結局、叔母である「神」のシナリオどおりに踊らされるわけであるが、主人公自身が神を決め、その中でもがくわけだ。
あいもかわらず佐藤正午の小説にでてくる主人公は、おとなしく、根暗と称されるセンチメンタルでやさしい青年だ。ことば遊びではないが、物語の中のレトリックもおもしろいし、参考になる。
毎回感じることだが、佐藤正午の小説は温かい。それもだんだんとぬくもりを感じるようなやさしい暖かさだ。挿入歌としてはバラードよりもブルースがよく調和しそうだ。
弱さと冷たさに押しつぶされそうになる主人公を影から支え、ヒントを与え励ましながら、実の所はすべては握っている叔母。こういう存在があればいいなあと思うのかそれとも。そんなゆったりとしつつおおらかな恋愛小説。何の予定もない日曜日におすすめの1冊。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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