「空気」の研究 – 山本 七平 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 5 分

我々は、通常、総合された客観情報の論理的検討の下に判断を下して結論していない。つまり、我々は「空気」に順応して判断し決断している。だから、通常この判断・結論の基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれている。よって我々は、常に、論理的判断基準と空気的判断基準という一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。
では、この「空気」は、どのように醸成され、どのように作用して、作用が終われば、どのようにして跡形もなく消えてしまうのだろうか。
ある人の青年時代には、出版屋の編集委員は、よるとさわると、独立して自分が出版したい本の話をしていた。みな本職だから話はどんどん具体化していき、出来た本が目の前に見えてくる。そして皆でその未見の本を徹底的に批判しても、やはり、相当に売れそうだという気持ちになることは否定できない。するとその場の「空気」はしだいに「いつまでもサラリーマンじゃつまらない、独立して共同で始めるか」ということになり、それもどんどんエスカレートし、かつ具体化していく。そしてすべてはバラ色に見えてくる。そしてついにやろうとなったところでだれかがいう。
  「先立つものがねえなあ」
一瞬でその場の「空気」は崩壊する。これが一種の水であり、「水を差す」という行為である。したがって、水を差すことができないと「空気」決定だけになる。
日銀OBの人によると太平洋戦争の前にすでに日本には「先立つもの」がなかった。また石油という先立つものもなかった。だが、だれもそれを口にしなかった。差す水はあった。だが差せなかったわけで、ここで「空気」が全体を拘束する。
したがって「全体空気拘束主義者」は「水を差す者」を罵詈雑言で沈黙させるのが普通である。しかし太平洋戦争でわれわれは、「空気」さえ盛りあがれば何かができるような気になるのは、錯覚であるということに気がついた。そして戦後の一時期に盛んに口にされた「自由」とは「水を差す自由」であった。
これがなかったために、日本はあの破滅を招いたという反省である。したがって戦後直後「軍に抵抗した人」として英雄視された多くの人は、勇敢にも答辞の「空気」に「水を差した人」である。「竹槍戦術」を批判した英雄は、「竹槍で醸成された空気」に「それはB29にはとどかない」という「事実」を口にしただけである。
  
そして「水を差す自由」を確保しておかないと大変なことになる。という意識をもち、同時にその自由さえ確保しておけば大丈夫という意識も生んだ。しかし、この水とはいわば現実であり、我々が生きている現実=水がまた「空気」醸成のもとであることを忘れている。その証拠に戦後「自由」について語った多くの人の言葉は結局「いつでも水を差せる自由」を行使することができる「空気」を醸成することに専念しているからである。そしてその「空気」にも「水」が差せることを忘れている。
つまり独立して本を出版する例も戦時中の政府も「虚構の世界」「虚構の中に真実を求める社会」である。
しかし、虚構のない社会は存在しないし、人間を動かすものが虚構であることも否定できない。したがってそこになんらかの力が作用して当然である。
それは演劇を例にとればわかりやすいだろう。簡単にいえば、舞台とは、周囲を完全に遮断することによって成立する一つの世界の設定であり、その設定のもとに人びとは演技し、それが演技であることを、演出者と観客の間で隠すことによって、1つの真実が表現されている。
端的にいえば、女形は男性であるという事実を大声で指摘しつづける者は、そこに存在してはならない「非演劇人・非観客」であり、そういうものが存在していれば、表現している真実が崩れてしまう世界である。
「演技者は観客のために隠し、観客は演技者のために隠す」で構成される世界が設定されている劇場という小世界内に、演技者と観客との間で「空気」を醸成し、全体空気拘束主義的に人々を別世界に移すという世界が、人に影響を与え、その人たちを動かす力になっている。
我々は日常的に「空気」に拘束されている。では、いかにして「空気」の呪縛を解き、それから脱却するのか?
  
それは、それを再把握することである。
それだけが「空気」からの脱却方法である。人は何かを把握した時、今まで自己を拘束していたものを、逆に自分で拘束することができ、別の位置へと一歩進んでいけるのである。

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書評・レビュー・感想

日本人なら絶対に読むべき1冊。
生まれた時から感じている違和感。
言語化できない感覚をうまく事例をだしながら説明している。日本における評価基準の不明瞭さはこの「空気」がある一定含まれているからであることがわかった。明日からでも「空気」に束縛されないための「空気」の再把握。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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