すべての男は消耗品である – 村上 龍 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

狩猟本能を摩滅させ自分の手で獲物を狩る力を失った男は、女たちのための消耗品で終わるのか?恋愛、女、芸術、犯罪、才能、幸福、エイズ、国家、セックス、日本などについての過激だが、明解なメッセージ。世紀末を明るく生きぬく男と女へ、元気と輝きにあふれる挑発的エッセイ。

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書評・レビュー・感想

一度ニューヨークで、有名なオージークラブへいったことがある。「プラトの洞窟」というクラブだが、ノン・アルコール、ノン・ドラッグで、あとのルールは単純だ。誰にでも声をかけることができるが、ノーを言われたらそれまで、ということだけだ。
男も女も、カップルでも単独でも入場できるが、男1人の客は、裸にはなれないというシステムでもある。したがって、このクラブでは、老人や醜いもの、それに貧乏人は、さびしい思いをすることになる。
老人でも醜男でも金持ちならば、上玉のエスコートガールを4,5人連れていけば、それでオージーに参加できるからだ。そこで、よく男に声をかけられた、ホモからではない。
「日本人のオンナはいないか?」と立派な紳士が声をかけてくるのだった。中には、日本人の女がいれば、黒人2人と白人1人のオレの女と交換してもいいというマフィア風の男もいた。日本のオンナは大変な人気なのである。ある雑誌の統計によると、日本の女は世界一人気あるそうで、日本の男は、スーダンの次で二十七番目らしい。日本の女たちは、いつの日か、一斉に気づくかもしれない。日本の男たちは、寸足らずで、知恵足らずだから、優しくするのをやめよう、と決心するかもしれない。
才能がなく、金もなく、きれいでもない哀れな男たちはどうすればいいのか?どうしようもないとオレは、いってしまう。ノウハウなどありはしない。それなりのリスクを負って、無謀とも思えるゲームを闘うしかないのである。

エッセイである。
基本は、現代は、女が元気で、男が軟弱かつ哀れだということ。
読みやすいし、ひとテーマが短いのでまあ読んでもいい。鼻につく感じがきらいでなければ。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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