仇討ち – 池波 正太郎 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

仇討ち (角川文庫)
池波 正太郎
角川書店

仇討ちは、封建時代における一種の刑罰制度である。ある領内で人を殺したものが、他の大名の支配する領国へ逃げ込んでしまえば、そこは別の制度があり、別の国がある。そこで敵を討つ方も、一時は浪人となり、主家を離れた自由な立場になった上で敵討ちが行われるのだ。

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書評・レビュー・感想

敵討ちの物語はいくつもある。
殺した方にも正当な理由があり、殺された方が悪い場合だってむろんある。けれども敵討ちのおきてがある以上、武士たるものは、討つ方も討たれる方も、その後にくるばかばかしい苦労を考え、殺人せずに何とかすませるという理性を持っていなくてはならない。その理性を求め、殺人事件を起こさぬように願えばこそ、敵討ちのおきてが決められているとも言えよう。
まったく逃げる方も苦しいが、追う方も苦しい。うまく短い月日のうちに敵の首をとることができればよいが、二十年、三十年かかって敵を見つけ、討ったときには、自分も旅の空で人生の大半を送り、白髪の老人となってしまったということもある。それでも討てるならまだよい。一生かかって見つからぬこともある。見つけても反対にこちらが斬られてしまうこともある。いわゆる返討ちだ。
 
日本史上で有名な三大仇討ちとして知られている物に、
  ・曾我兄弟富士の裾野の仇討ち
  ・荒木又右衛門鍵屋の辻の仇討ち
  ・赤穂浪士吉良邸討ち入り
があるが、明治6年に仇討ちが禁止されるまでは、日本では数々の仇討ちが行われていた。仇討ちというのは、一面では私讐である以上、これを野放しにするわけにはいかず、江戸幕府において一定の制限をもうけ、それに抵触しないものが公許された仇討ちとして成立している。どんな制限手続かというと、まず「仇討ちには公許が必要であること(藩主の許可をうけてのちに仇敵のあとを追う)」とか「追っ手は殺されたものより年下の者に限る」というようなものが作られたのである。
仇討ちに関する短編をいくつか載せているのが本書である。
仇討ちに成功してうまく出世するものもあるし、一生見つからないパターンものっているので楽しめる。仇討ちに関する物語は少し読んだことがあるが、それでも仇討ちだけの本書のような本は初めてだった。
短編なのでなかなか読みやすく引き込まれやすい。普通の歴史物に飽きた人はこういうのもいいのではと思う。史実通りのものもあるし、著者のフィクションのものもある。
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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