壊滅 なぜ日本人はかくも幼稚になったのか 3 – 福田 和也 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 12 分

「私たちの人間性自体が『バブル』であった。『効率』や『利益』、『安楽さ』に対抗できるものは、『意味』とか『目的』というものです。つまりは『人生観』の転換をなしとげなければ、日本経済の苦境は克服できないでしょう」―デフレが、国家経済を壊滅に追い込んでいる現在、私たちが早急に考え直さねばならないことを、真摯に直言する、ベストセラー『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』の第三弾。

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書評・レビュー・感想

・大正バブルの原因

昭和恐慌の発端は、第一次世界大戦(1914〜1918年)時の大好況でした。
第一次世界大戦では、当時世界の工業生産の大部分を占めていた欧州が、戦場になりました。
そのため、欧州の工業製品が、軍需一辺倒になったために、世界的に「民生品」(人間生活の基本に必要なもの)が不足しました。
そして、その需要が日本に集中したのです。
当時、質においても価格においても到底欧州に対抗できなかった日本製品が欧州の生産停止によって中国、アジア、アフリカ、南米などに販路を広げ、爆発的といっていいほどの生産拡大を体験しました。
当時世界の海上交通を取り仕切っていたイギリスが、ドイツの潜水艦による海上封鎖で拘束されていたため、日本の海運業界は、一挙にその市場を全世界に広めることができたのです。
その結果として日本に大量の資金が流れ込んだのです。そして当時(大正時代)は、国内の投資物件がたくさんあったにもかかわらず、実際には安易な金儲け(投機)のほうへ資金が回ってしまいました。

・平成バブルの原因

平成バブルの直接の原因は、「冷戦の後始末」です。
1980年代になって、ソ連国内の停滞を見ぬいたアメリカのレーガン大統領が、SDI計画などの大規模な軍備拡張攻勢をかけ、資金的にも、技術的にもこれ以上アメリカと軍事的に対峙できなくなったことをソ連に悟らせ、戦わずに屈服させることに成功しました。
ですが、ソ連を打ち負かしたアメリカも疲弊の極みにあったのです。
高名な「双子の赤字」−財政と貿易の巨額な赤字でした。
そして1984年末には、いつ資金不足による融資不能(クレジットクランチ)が起こっても不思議ではない状態になっていました。
そこでアメリカがとった選択が、資金不足解消のために、日本の金を導入するというものでした。アメリカがとった戦略は二段構えのものでした。
  ・ドルの対円レートを劇的に下げることによって円資金のアメリカ流入
  ・円資金のアメリカ流入によるアメリカ製品の競争力の向上
この戦略は1985年春、ニューヨークのプラザホテルで行われたベーカー財務長官と中曽根政権の竹下蔵相との間で成立した合意、いわゆる「プラザ合意」として結実しました。
この合意により円の対ドル相場は、220円⇒140円台になり、じりじりと10年後の1995年の80円台まで円高は続きました。
と同時にアメリカは「冷戦の勝者は日本」というスローガンのもとに冷戦下で日本が得た利益をあぶり出し、日本経済の構造を問題にし、アメリカ経済の活性化に寄与するような経済関係を構築するように求めたのです。
この流れが、日本では、中曽根政権で唱えられた「国際化」というスローガンです。
そしてこれは、今日の「改革」「グローバルスタンダード」といったお題まで続いていくのです。
「円高戦略」によって、急激に購買力をました円は、アメリカに流れ込みレーガン大統領の目論見どおり、国債・株式・不動産などを買いあさりました。
同時に、資金が増大した日本の金融機関に対して日銀が超低金利政策をとったために、国内でも資金が大量にあまり、それをすべて株や土地への「投機」に向かったのです。

・大正バブルの崩壊(金融危機・資産価値下落・デフレ)

大正末のバブルも、第一次世界大戦で流れ込んだ資金を投機的な運用によって引き起こされ、結果として土地価格と株の高騰を促しました。しかし、大正バブルも第1次世界大戦の終結とともに崩壊します。なぜなら、欧州の生産再開、イギリスの海上運輸再構築が行われたからです。日本の好景気も世界大戦という僥倖によってもたらされたものであり、一度奪った市場を守り通せるだけの生産力も技術力もまだなかったのです。
そしてこの大正バブル崩壊にたいして、財政出動をして景気浮上を図ろうとしました。そこに関東大震災がおこったのです。(大正12年・ 1923年)
震災によって打撃をうけた金融システムのために、政府は「モラトリアム」(債務の返済期限を延長すること)を設け、支払い繰り延べを許す「震災手形」を設定しました。
ところが、この震災手形が震災の余燼がおさまっても精算されませんでした。
なぜなら、土地価格下落などで経営危機においこまれた金融機関が、震災手形を乱発して運転資金をひねり出していたからです。
そしてこの震災手形の清算は政治的圧力によって引き伸ばされ不良債権化していったのです。
そしてこのような不健全な状態が続くわけもなく、昭和2年には、土地の不良債権を抱えた「渡辺銀行」震災手形を抱えた「台湾銀行」などが次々破綻し、昭和の金融危機が生じます。
これを田中義一内閣の高橋是清蔵相が「公的資金注入」により収拾しました。
ですが、金融危機を収拾した=経済が回復するということではありません。
当時も、金融危機収拾後も経済全体が回復に向かったわけではありません。
ようするに「資産価値の下落」「デフレ」は停止できなかったのです。
そして次の内閣、浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相は、「金輸出解禁」によってこの残り2つの問題点を一気に解決しようとしたのです。金輸出解禁により、金本位制へ復帰し、金融緩和などの弥縫策をたちきり、一気に「デフレの循環」を断ち切ろうとしたのです。

  
・昭和大不況

浜口内閣の「金本位制復帰」は失敗します。
なぜなら、金本位制の核であった当時の国際経済そのものが崩壊してしまったからです。
この崩壊は1929年10月24日のウォール街の株式市場の大暴落から始まりました。いわゆる「暗黒の木曜日」です。
これにより、イギリスは1930年金本位制から離脱。
国際経済システムが崩壊していることが明らかになりました。
そして国内では、株式投資に深入りしていた銀行は経営危機に陥り、不安にかられた預金者による「取り付け騒ぎ」が全国にひろがり、
1929年に659の銀行
1930年に1350 の銀行
1931年に2293の銀行
1932年に1453の銀行が倒産しています。
こうした金融機関の破綻により当然のことながら、経済活動全体が収縮に見まわれ昭和の大不況へとなっていったのです。この当時の失業率は20%をはるかに超えていました。この大不況によりデフレーションが成立してしまったのです。
普通、価格破壊は進むと購買意欲がかきたてられるように思いますが、デフレ下では、商品価格が下がる勢いに倍して、勤労者の所得水準が、下がっていくために、購買意欲も下がっていくのです。さらにデフレは「不良債権」を生んでいくのです。
つまりデフレは、需要収縮→所得低下というループだけではなく、土地などの資産価格低下→不要債権増加→金融機関の信用低下→資金消滅というループも進行するのです。
このデフレの「悪魔的」ともいえる連鎖が、恐慌の実態なのです。
しかし、恐慌のメカニズムはわかりやすいのですが、実際にこのメカニズムが働いている時には、たとえば、銀行に大量の預金があったり、物資が大量に生産されていたりするので、何が問題で経済が回転しないのかがわからないのです。
アメリカの作家のウィル・ロジャースは、アメリカの大不況時に「私たちは、地上に存在したいかなる民族よりもたくさんの小麦、とうもろこし、食料、綿花、金を持っている。それなのに餓死しかかっている」とかいています。
この狐につままれたような感覚のまま、どんどん経済が麻痺していく、これがデフレーションなのです。

・デフレの克服の方法は?

実はないのです。
過去の指導者やエコノミストで経済政策や社会政策でデフレをとめた人は存在しないのです。
アメリカの大恐慌時のルーズベルト大統領のニューディール政策は有名で効果があったとされています。
たしかに効果はありました。デフレのスピードをゆるめる効果ですが。しかし彼ですら、経済を根本的にた立て直すことはできなかったのです。
では何が、アメリカを再起させたのか?
「戦争」です。
古来、デフレからの脱出は「戦争」か「大災害」によってしか実現されてこなかったのです。
アメリカは、第二次世界大戦で2つの果実を得ました。
  ・戦争による大量消費つまりは、需要の拡大
  ・旧植民地帝国没落による日本を含む自由諸国というあらたな市場
その結果、アメリカの生産力を十二分に発揮して莫大な財物を市場に流しこみ、大不況から本格的に脱出したのです。

・需要の縮小とは?

需要の縮小とは、簡単にいえば、「ものが売れなくなった」ということです。
理由としては、もっとも一般的なものに「需要が一巡してしまった」というものがあります。
これはつまり、消費者が「あらかた欲しいものを買ってしまった」ということですね。
こういう現象は、ある程度時間差をおけば、解消されるものですから、けっして深刻な問題ではありません。
より深刻な需要縮小の問題は、「生産性の向上」です。
これはおかしいと思われるかもしれません。
なぜなら生産性が向上することは良いことだとされていますからね。
もちろん原則論としてそうなのですが、物事には、いろいろな側面があります。
ものが足りない、あるいは価格が高すぎるときには、生産性の向上は、望ましいことですが、経済が飽和状態のときには、生産性の向上は著しい弊害を生じるのです。
生産性があがると、ものが大量につくりだされます。当然、市場には、たくさんの商品があふれるようになるわけで、それがいきすぎると当たり前ですが、「供給の過剰」が起こります。
供給が過剰であるということは、視点をかえると「需要が縮小する」ということですね。
さらに深刻なのが、生産性が向上すると労働者が首になります。
新しい設備の導入や生産法の開発などで省力化が進むとその結果として労働者がリストラされるわけです。
生産性の向上によって生じた失業や賃金低下はまわりまわって企業の首をしめることになります。
大企業は大衆の消費力をバネに発展してきたわけで、労働大衆が豊かになることが、そのまま購買力の向上につながる循環によって成長してきたわけ、繁栄を謳歌してきたのです。
しかし、生産性の過度の向上は、この循環から労働者を取り残し、その結果として「成長サイクル全体」を破壊してしまうのです。
大企業を経営する富豪は、利益を当然のとこながら大衆商品の購入などには使わずに、株式や設備などの投資に使う。
その結果、一部の階層への冨の集中が強まります。
全体の経済水準があがっているならば、富豪がより富むこと自体は、けっして悪いとはいえませんが、勤労者の所得が逓減傾向にある中で富裕層がより富むことは道徳的に問題があるだけではなく経済全体がきわめて不均衡、不安定な構造になってしまいます。
いくらたくさんのオレンジや自動車をつくっても、1人の大富豪がすべてのオレンジをたべたり、すべての自動車にのれるわけでないので、多くの人がオレンジをたべ、自動車が買えるようにしなければ、経済が健全に動かないことはいうまでもないことです。

著者は、本の中でデフレの克服は、過去には戦争or大災害しかないと指摘しているが、過去にはなかったが、可能性がある方法も1つ提示している。それは「人生観の転換」。
現在の人生観を「より快適に、より豊かに、より楽に」とするとこれからの人生観を「自己の美意識や国土の美観」にして古来より日本人が大切にしてきた倫理観・美的潔癖・精神の高潔・日本という国土を復縁させようと訴えている。
現在のデフレ対策として政府は、さらなる「自由化」「効率化」を掲げているが、著者は、可能性があるのは、その道とはまったく別の道だと指摘している。それは、戦後において「美」や「恥」といった感覚を軽視し、「利益」や「利便」のみを重視する心性の克服との戦いでもあると指摘。
「効率」に対抗できるものとして「意味」「目的」を挙げている。もっと日本語らしくすれば「かい」ということになる。こうした「かい」を求めること、つまり人生観の転換を図らなければ、日本経済の苦境から脱出はできなく、この本の題にあるように「壊滅」への道を歩むことになるとのこと。
問題を指摘するだけではなく、それにたいして分析し、代替案をだしている点が評価できるし、その代替案自体もいままでなかったものであると感じているので経済の勉強と人生観の勉強のために読むことをオススメ。
以下は、シリーズ一覧。
なぜ日本人はかくも幼稚になったのか
続・なぜ日本人はかくも幼稚になったのか
壊滅 なぜ日本人はかくも幼稚になったのか 3
なぜ日本人はかくも幼稚になったのか 4 日本の決断
(過去ブログからの転載シリーズ)

本エントリーは、過去に運営していたブログから転載したものであり、一部書き直しならびに追記をしてあります。

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