不快という貨幣 と 両津勘吉

【この記事の所要時間 : 約 2 分

内田先生が2006年02月23日にブログに投稿した「不快という貨幣」というエントリーが話題だ。
コメント欄とTB欄を眺めるだけでもなかなか。
いろんな人がいろんな風に引用、コメントしてますね。
「不快という貨幣」(内田樹)を論理的に理解する
「不快交換価値説」の切れ味
労働は苦役
当事者と第三者
不労報酬
なぜ若者たちは学びから、労働から逃走するのか?
不快という貨幣
コミュニケーションというのは誤解される幅があればあるほど開かれているというのが内田先生の思想なので、いろんな風に誤解?され、コミュニカティブになっているのが面白いと感じる原因かもしれない。
(これが先生のいうコミュニケーションが開かれている状態なのかな。)
こち亀で似たような話があったと記憶している。
たしか、両さんがボーナスが上がらないといってうだうだ言っているのを大原部長がジンジインが両さんの行ないをみて決めているといって両さんが勘違いをするというところから始まる。
ジンジインが神様みたいなものと勘違いした両さんが、「ジンジインさん、見ていてくださいよ」といっておばあさんをオンブしたり、人に道を教えたり、普段しないことをやっていく。
(ちなみに両さん自身は、おばあさんをオブッたからいくらプラスというような計算を頭の中でしている。)
そして、次のボーナス日。
以前とほとんど同じボーナスであった両さんが怒って、部長が嘘をついたとまたうだうだ言い出し、結局また不良の両さんに戻るという話だった。
これでも両さんは、おばあさんをオンブするという不快に耐えることによって報酬が得られると考えていた。
おばあさんをおぶったから○○円ちゃりん。道を教えたから○○円ちゃりん。
そういう意味では、秋本先生は内田先生にさきがけて、両さんにニート的な部分を反映させていたということかもしれない。秋本治おそるべし。

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