朝日と文化資本について

【この記事の所要時間 : 約 3 分

今週のアエラに以下のような記事があった。
公立親の不安と題して
  ・公立中の3つの格差
  ・小5が抱えるクライシス
  ・小学校の英語格差 親たちの本音
で朝日得意の煽りが炸裂していた。
現在の塾が詰め込み過ぎであることを指摘しつつ、塾に行っていない子供が「やるべきことをやってない」意識をもっているといってあおる。
では、どうすべきなのか?はまったく触れない。
そして、塾に行く行かないについても経済的な問題へ、さらには子供の文化資本についても経済的な問題へ帰結している。
英語話者であることをどう考えているのか?
「小学校の英語格差」なんていうフレーズの特殊性に気づかないのかな〜
これは「英語が社会生活に必須であり、英語話者でないと社会的に不利益をこうむる」ということを疑いのない真理としている人間が語っているに違いない。
今の日本の小学校において、なぜ英語教育に優先的にリソースは配分しなければならないのか?
「英語ができる」ことより、「ディセンシーであること」や「フレンドリーであること」が社会で有効な場合が多い。
経験的に「英語ができる」人というは、非難や叱責や自分が正しいことというのを思いやりよりも優先する傾向にある。もちろんそうでない人もいる。
小学生が学ぶべきものがあるとすれば、「自分がなにができないのか?」を知ることであり、そして「どうすればできるようになるのか?」を考え、教えを請うことである。
その場合に必要なものは、非難や叱責や自分の正しさではなく、礼儀正しさであり、フレンドリーさであり、正直さである。
そして、アエラでは英語と同じように文化資本を扱っていた。
結局は、「社会上層にのしあがるための道具として、英語と文化資本が必要だ」と朝日は言ってるのであるが、
文化資本とは気がついたら身についていたというものであって、必要に迫られて取得することのできない部類のものであることを理解されていないように思う。

「文化資本を金で買う」というこの発想そのものが文化資本の価値に対する根本的な無理解を露呈している。
この人は「要するに金でしょ? 文化資本もってるとお金もちになれるんでしょ? だから先行投資をして文化資本を安いうちに買いだめすればいいんじゃない」と考えている。
でもね、「豊かな文化資本に浴した人」というのは、ひとことでいえば「教養を貨幣よりも当然のように上位に置く感性」の持ち主のことである。
「ほんとうにたいせつなものは金では買えない」という感性が「金で買える」はずがないでしょ?

と内田先生も言っている。
結局、朝日は、自分たちと同じ社会上層にあがるためには小学校時代から英語を勉強し、文化資本獲得に邁進しなければならない、そうしないと下流行きだよ。と見下して言っているように思うが、それじゃあまっとうな社会人にはなれないよ。と私は思う。

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