人間の器量 – 福田 和也 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

優れた人はいる。感じのいい人もいる。しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか―。その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。

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書評・レビュー・感想

なかなか厳しい本である。現在の日本には、「人物」がいないと断言。
そして、過去にはどのような「人物」がいたかが書かれている。そしてその人物の人間としての器量とはどういったものかが書かれている。読んでみるとその通りだと思うこともあれば、それは時代が違うよ。といいたくなることもある。ただ、ここまで断言しているのでなかなかすがすがしい本ではある。
やはり昔と今では、「人物」、「人間の器量」といったものの計量方法そのものが変化しているということではないかと思う。著者は、現代と過去を同じものさしで計っているが、それが正しいかどうかの検証をせずにやっているので、ひとつ手前に戻って考えてみるとまた違った結果になるかもしれない。
「時代」というのは非常に大きなファクターである。よく○○という人物はどの時代であっても頭角を表すだろうといったことを見たり、聞いたりするが、かなり疑問に思っている。それほど「時代」の力は強いと思っているからである。江戸中期に秀吉が生まれていてもどうしようもなかったと思う。「器量」もまた「時代」により大きく影響をうけるパラメーターであると思う。
本書の後半部分は、偉人伝になっているので、タイトルで買った人は「?」と思ってしまうかもしれない。

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