日本辺境論 – 内田 樹 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

日本辺境論 (新潮新書)
内田 樹
新潮社

日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問い。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じた一冊。

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書評・レビュー・感想

いろいろな話を「日本」または「日本人」に絡めてとりまとめた本である。日本人とは?という問いの答えについて国民的合意はないが、「日本人はきょろきょろする」という基本態度というかメンタリティについてはまさにその通りだと思う。
本書の結論というか言いたい部分は、たぶん以下に凝縮されているかと思う。

私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません。

ではなぜそうなのか?については著者は以下のように述べている。

私たちは、「われわれはこういう国だ」という名乗りから始まった国民ではない。私たちは自分たちがどんな国民なんだかよく知らない。日本人にとって、「われわれはこういう国だ」という名乗りは、そこからすべてが始まる起点でなく、むしろ知的努力の到達点なのです。だから「日本人とは何ものなのか」というタイトルの本が本屋には山のように積んである。「日本とは何なのか、日本人とは何ものなのか」を知ることこそは私たちの「見果てぬ夢」なのです。

日本とは?日本人とは?という問いは、1たす1は2というような答えがあるものではなく、答えがないもしくは、たくさんの答えがある、または、答えがまた問いに回帰・収斂するという不思議な問いらしい。他にもいろいろなことが書かれているが、内田先生の他の著書(コンピ本など)に比べると難解なので、再読が必要である。
国民的合意。
こういうのって日本には何かあるのだろうか?

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